アンディ・ウォーホルの言葉には、いつも惑わされます。
彼は自分のことをうわべだけの人間であり、深く考えているわけではないという。
そんなことはない、と誰もが思うだろうが、その意図を汲み取ることができるようになるには、こちらもそれ相応な経験と感性が必要になります。
作品が発表されてから20年以上も経ったバブル時代に美大生だった自分にとって、アンディ・ウォーホルはわかりやすい一つの指標であり、あの軽いノリのポップな画風は美術を目指す若者にとってアートの世界のメタファーでした。
彼のシルクスクリーンで描かれた画風は、人を惹きつけるに十分なほどインパクトを与えていたし、その周辺のカルチャーに憧れを感じる友人たちも多かったと思います。
そのうわべの部分を持ち込んで、日本風に解釈し、日本風にアレンジし、それを消費することが私たち日本人は本当に上手いと思うのです。それも様々なシーンにおいて同様のことがおこなわれています。
これを西洋文化の真似ということもできると思いますが、簡単に複製できることが、60年代以降の社会では当たり前になることを見抜いていたアンディ・ウォーホルの見識眼はうわべだけの人間ではないということが十分にわかります。
今から思うと、バブル景気の時代の日本で流行していたカルチャーのほとんどが、アンディ・ウォーホルのいう表面だけを見た文化の輸入だったのではないかと思います。
表面だけの輸入なので、日本の慣習や感性にいくらでもアレンジできます。
数年経つと、それがすっかり日本の文化のようになっている、というこの現象は、とても特徴ある日本の文化であると思います。
今さらながら、アンディ・ウォーホルは含蓄のある言葉を発しているなと思うのでした。
静岡県沼津市生まれ
武蔵美術大学 空間演出デザイン卒業
大学卒業後、3年間、世界各地で働きながらバックパッカー生活を送る。
放浪中に、多様な価値観に触れ、本格的にデザインの世界に入るきっかけとなる。
2008年株式会社カラーコード設立。
デザイン制作をするかたわら、ふつうの人のためのデザイン講座、企業研修の講師を務める。
現在は、京都芸術大学准教授として教鞭ととりつつ、アート思考を活かしたデザインコンサルティングをおこなう。