アート思考のものづくり

マツダの魂動デザインに初めて出会ったのは、5年以上前の羽田空港。出発ロビーに向かう長いエレベーターを上るその目前に、魂動デザインのロードスターが置かれていました。車には、まったくと言ってよいほど興味がなかった私ですが、あまりの美しさに、思わず立ち止まって見入ってしまったのを今も鮮明に記憶しています。「この真紅と艶感、すごいなぁ」と声が漏れ、思わず、手を触れていました。


あの時、私は目の前にある「それ」を「車」として見ていなかった気がします。何やらものすごい日本の伝統工芸品を見ているような、アート作品を鑑賞しているような、そんな気持ちでした。


本書は、マツダの鼓動デザインがどのような理想や哲学、そして信念の上に創られたのかを事例に、日本のものづくりが、いかにアート思考を取り込むのかを示します。


日本のものづくりは、ものづくり力があるがゆえに、商品の技術的な数字やスペックで表される機能的価値をいまだ重視している一方、収益性の高い企業の多くの商品には意味的価値が付加され、顧客を感動させていると言われます。過当競争のなかで、顧客の琴線に触れる本物こそが再評価される時代に、日本のものづくりはどう戦っていくのか。商品のデザインや品質感、使い心地などの意味的価値においても、日本のものづくりは大きく貢献する素養があるとする本書の中に、そのヒントを探しにいきましょう。

「モノからコトへ」と言われる中で、デザイン思考などの手法が取りざたされています。その方向性は重要ですが、日本企業が世界を再びリードするためには、トレンドの追従だけでは不十分です。ユーザー満足を目標とするデザイン思考を超えて、ユーザーの想定を超えた感動をもたらすものづくりを目指すべきです。その実現に必要とされるのが、自ら強く信じる哲学や信念を表現する「アート思考」なのです。
この20年間で日本の製造業が競争力を低下させた主因のひとつは、求められるイノベーションの変化に対応できなかったからです。技術と同等以上に顧客価値の視点が鍵を握るようになったのです。かつては技術的な機能の高さなどカタログスペックで明示できる形式的な価値が企業の競争優位を規定していました。現在は、消費財であれば、心地よいユーザビリティや心を動かされるデザイン、生産財であれば顧客企業に経済的価値をもたらすソリューション提案など、単純な商品仕様を超えた暗黙的な顧客価値が競争力を左右する時代となったのです。
本書は、欧米主導のデザイン思考を取り入れるだけでは十分ではないと考えます。今後、日本企業がその強みを基盤として輝きを取り戻すためには、アート思考が求められるのです。
本書は、多くの部分で「アート思考」の考え方と同調した商品開発を実施してきたマツダを事例として取り上げます。常識を超えたエンジン技術や感動をもたらすデザインなど、ユーザーニーズを超えた価値を目指している。中でも、既に世界をリードするレベルまでになったマツダデザインに焦点を当てます。それを牽引してきたリーダーである前田育男氏の全面協力を得て、実行してきた内容をベースにしているので、説得力の高い説明になります。
〜 Amazon 内容紹介より〜

目次

はじめに
第1章 観察力とは何か?  観察をめぐる旅への誘い

第I部 背景:日本企業の向かうべき方向性
第1章 暗黙化した顧客価値――日本企業の生きる道
第2章 自動車企業及びマツダから学ぶ意味

第II部 SEDAモデルとアート思考
第3章 SEDAモデル
第4章 デザイン・エンジニアの重要性
第5章 アート思考のものづくりとは

第III部 アート思考の魂動デザイン
第6章 マツダのものづくり哲学
第7章 魂動デザインの誕生と展開
第8章 魂動デザインの神髄

第IV部 魂動デザインの実現――匠の技とブランド経営
第9章 造形のアーティスト――クレイモデラー
第10章 アートレベルのモノづくり
第11章 ブランド価値経営への展開

第V部 統合的価値創出の経営
第12章 こだわりのSEDA人材

終章 日本のモノづくりが目指すべきアート思考

中途半端が最悪の結果を招く

本書は、まず、デザインは顧客(ユーザー)のために、アートは自己表現のために行うと明記します。デザイナーも顧客のニーズ以上のもの生み出したり、自己表現をしたりしているのでは?という意見もあることは想定した上で、あくまで本書での定義や使い分けを記し、読者個人の解釈や言葉へのイメージの相違から生じうるズレを最小限にする配慮がされている点は、非常に読みやすく感じました。

デザイン思考は顧客の問題解決を行うが、アート思考では社会的な使命などの高度な視点から、独自に考える理想や哲学を描き、それを提起・表現する。結果として目指すのは、顧客の想定を超えて、驚きや感動に結びつく価値の創出である


アート思考のものづくり』電子書籍版852/2585

デザイン思考とアート思考の違いを現実的な経営の視点から考えると、ユーザー調査の有無が象徴的かもしれない。顧客の満足度を最大の目標とするデザイン思考では、企画段階から、顧客の嗜好を調査してそれに対応する。(中略)アート思考では、顧客の想定を超えて理想を目指すのだから、ユーザーの調査の重要性は高くない。顧客を徹底的に知ることは重要だが、そのニーズや評価に対して受身的にはならない


アート思考のものづくり』 電子書籍版867/2585

ただし、ここで読者が「アート思考は自己表現を追求すればよいのか?」と誤解しないよう、アート思考を経営へ応用する際の重要な課題に触れている点がアート思考を語るビジネス書として一歩踏み込んでいると感じます。デザイン思考が顧客ニーズに最大限応えることを目標とするのに対し、アート思考は、企業の(1)哲学・思いの表現、(2)アイデンティティ・歴史、(3)超絶技巧(クラフトマンシップ)、(4)妥協しない強い情熱と執念、をものづくりに込めた結果、(5)ニーズを超えた感動を顧客にもたらすこと、この5つがアート思考の条件であると著者は説明します。この条件を満たさない状態は、中途半端。アート思考のものづくりは中途半端で終わらせないこと、最後までやり抜く強い覚悟が肝要です。

本書のように経営に応用する際に重要なのが、顧客の想定を超えるだけでなく、それが感動や喜びに結びつかなくては意味がない点だ。自己満足では許されないので、アート思考のモノづくりでは、そこに到達するまで決して妥協してはならない

アート思考のものづくり』 電子書籍版867/2585

「残念ながら近年、日本企業における、作り手の強い情熱と執念が業績に結びつかなくなった。しかしそのような、ものづくりへのこだわりが必ずしも悪かったわけではない。中途半端だったので、うまくいかなかった事例も多い。アート思考では、中途半端が最悪の結果を招く。効率だけが悪くなり、顧客の感動にまでは結びつかない場合だ。(中略)ものづくりで完璧を目指す執念は、同時に顧客の心を動かす商品を実現するための粘りや執念でなくてはならない」

アート思考のものづくり 』 電子書籍版1035/2585
アート思考のものづくりにおける価値創造の仕組み:SEDAモデル

ここで、著者が提唱する企業が「統合的価値」を創出するための枠組みをご紹介します。「モデル」聞くと途端に身構えてしまう読者もいらっしゃるかもしれませんが、アート思考をものづくりや経営に応用する上で重要な枠組みですので、ぜひご理解いただきたいと思います。

著者のいう「統合的価値」は、①デジタルとアナログ、ソフトウエアとハードウエアの統合、②機能的価値と意味的価値の統合(モノとコトの統合)、③深化と革新の統合という、3つの統合があります。そして、それら要素すべての境界を取り払った価値づくりにより顧客が感動する価値創出、すなわちアート思考のものづくりにおける価値創造が可能となるのです。

アート思考のものづくり 』 電子書籍版615/2585)より

各象限は以下の通りで、それぞれの頭文字を取って「SEDA(シーダ)モデル」と呼びます。

S
cience(サイエンス):機能的価値×問題提起

Engineering(エンジニアリング):機能的価値×問題解決

Design(デザイン):意味的価値×問題解決

Art(アート):意味的価値×問題提起

技術革新、モジュール化の進展により新規参入も容易になり、商品の機能や仕様が模倣されやすくなり、機能的価値のみでの差別化が難しい状況になって久しい昨今、消費者の感性や情緒に訴え選ばれるようになることが求められるようになりました。

近年大きくヒットする製品は、機能性はもちろんのこと、それ以外にも消費者の使いやすさや優れたデザイン、明確なコンセプトが打ち出され、機能的な価値と意味的な価値が融合されています。

本書では、アップル、ダイソン、マツダがアート思考のものづくりを実現した代表的な企業として例示されています。消費者が便利さを選ぶ時代から自分らしさを選ぶ時代には、機能的価値と意味的価値の融合が必要です。そのような統合的価値を創造すべく「Science」「Engineering」「Design」「Art」の領域を組み合わせ、アート思考のものづくりを実現する枠組みがSEDAモデル、それを実行できる人材がSEDA人材なのです。

終わりに

人が親しみやすいであろう「ものづくり」、その中でもさらに身近に感じやすい「自動車」を事例に説明した点で、私はとても新鮮に感じました。

アート思考とは何か、デザイン思考との違いは何かを理論的に知りたい方、アート思考をビジネスに応用したいけれど取り込み方がわからない方、マツダのものづくり哲学や信念(生命感と躍動感に溢れ、日本の美意識を打ち出すことにより世界に誇るデザインを目指す)を知りたい方、鼓動デザインが実現するまでのストーリーを知りたい方、本書は多くの方の興味に沿って読み進めることができます。

日本のものづくりが再び世界で輝きを取り戻すことは簡単なことではありません。各社相応の信念と覚悟が必要であると身が引き締まると同時に、日本企業には、それを成せる素養があるとの自信を持たせ、その方法を示してくれる、そんな良著です。

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