第8回 農民美術運動の話

「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
という和歌を読んだのは須佐之男命(スサノオノミコト)であり、出雲の国に降った時に、八俣の大蛇から櫛名田比売(クシナダヒメ)を救い、そして結婚し、出雲に新婚の宮を建てた。
これは日本最古の和歌であり、理想郷を願う歌でもあるという。

北海道を開拓するにあたり、尾張藩主の徳川慶勝は、渡島半島の内浦湾に面した丘陵地帯を八雲町と名付けたそうだ。
たしかに、パノラマパークから内浦湾を見下ろす景色は日本とは思えない、広大で美しい景色である。
この北海道二海郡八雲町は、母親の出身地ということもあり、親戚も多く、なつかしくもある地だ。
尾張徳川が、藩士の生活を守るために、明治維新以降に、積極的に開拓民を送り、農業や酪農を研究し、北海道に広めて行ったのもこの地からだ。
その八雲町の名産の民芸品である「木彫り熊」は、北海道を代表するお土産としても有名である。

八雲町郷土資料館参事 三浦孝一氏の書かれた「木彫り熊、発祥の地・八雲から北海道内へ」によると、尾張徳川家 19 代当主である徳川義親が、この木彫りの熊の制作案を作り、八雲町にあった徳川農場で作られたのが始まりということだ。
そして、この木彫り熊は、大正から昭和にかけて盛んになった「農民美術運動」のひとつの産物として、北海道中に広まっていった。
その農民美術運動とは、山本鼎(やまもとかなえ)が唱えた、開国して西洋文化に触れる様になった日本での、文化的であり、農民の生活向上をはかる、はじめてのアートのムーブメントだった。

山本鼎は、愛知県の岡崎市生まれで、長野県上田市で創作活動をしていた版画家であり教育者である。
彼は、農民美術運動とともに、「児童自由画教育運動」も起こしている。
明治初期にも一応、美術の教育はあったということだ。それは「幾何学罫画大意」という教科であり、その中で図画は以下のように指導している。
「眼及手ヲ練習シテ通常ノ形体ヲ看取シ正シク之ヲ画クノ能ヲ養ヒ兼ネテ意匠ヲ練リ形体ノ美ヲ弁知セシムルヲ以テ要旨トス」
これを臨画主義というが、山本は、子供達は模写を中心とした絵を描く教育よりも、自由に絵を描くことが創造力を育て、創造性を引き出す真の教育であると訴えている。
「各人の眼を心を直ちに万象へ導き、其処に自然を知り、其美を知り、其美術を知り,其趣味の深淵を会得する」
と現代の創造性教育に近いことを言っている。
この運動は、長野県上田市からはじまり、全国へ広まっていき、今からでは想像できないほど盛り上がったようだ。
フランク・ロイド・ライト設計の、明日館(みょうにちかん)で有名な、1921年に設立された「自由学園」は、美術の授業に、この自由画をすぐに取り入れている。
これとセットの様に行われて来た「農民美術運動」は、室内装飾品、家具、布地、陶器などの生産を農民がおこなうことにより、農民の生活を向上させ、かつ美術作品を日常生活に浸透させていく目的であった。

しかし、この農民美術運動は、ちょうど同じ頃に起こった「民芸運動」の創始者、柳宗悦によりかなり批判された。西洋かぶれの洋画家が、農民の若者たちに模作させている、民衆の作る工芸品は、もっと日本独特の趣向や郷土趣味を打ち出した方がいいと言うのが柳の主張だ。
柳たちは、日本のオリジナリティが何なのかを自覚し、広めて行こうとする運動であり、山本は、西洋の文化にも対応できる工芸品をつくるために、農民や民衆にも児童の頃から創造性を高める教育をし、経済的にも豊かになるために創造力を使おうと言う主張である。

時代が下った現代からこの事象を観察すれば、この二つの運動はどちらも正しく見え、どちらも偏っているように見える。
現代の日本でも、発案のヒントは海外の事象からの場合が多いが、それをそのままのスタイルで日本に導入すると破綻する場合が多い。上手く日本流にアレンジしなければ、すんなりと普及させることは難しい。
結局、農民美術運動は前述した木彫りの熊が成功例として残るが、それ以外は目立ったものが残っていない。
その木彫りの熊は、経済成長期の観光ブームの頃は、作れば売れるというお土産だったらしい。どこの家庭にもサイズは問わず、置かれたいたのは、この時代があったからである。
しかし、現在は、発祥の地八雲町でも後継者がいない状態のようだ。
この木彫りの熊の造形は、現在の日本人が目指すライフスタイルとは相容れないものになってしまっている。
また、民芸は今でも残ってはいるが、こちらも後継者や人材の不足で残っていくのは難しいと思っている。
日本のオリジナリティから創造されている工芸は、一部のマニアのためのものになってしまったが、「クラフト」と名前を変えて今後は残っていくだろう。
結局、現在のクラフトは、山本と柳の起こした運動の相和であり、オリジナルの出自は混在しているが、民衆が手作りで審美性をもって作り出し、機能的で生活を支える品物のことだ。

これらを踏まえて、関わっている地方創生とその地域のブランド確立に必要な非言語的であり、潜在的な何かを、顕在化させることを試みていきたいところだ。
こう思うと、日本は本当に吹き溜まりであり、世界中の様々な思想や思考、価値観がごちゃ混ぜになり、渦を巻いている。
その渦がいろいろなものを混ぜる訳だが、時折、その渦の中から世界を変える様な何かがキラリと光り輝いて出現する。
そんなキラリと光る何かを追い求めていくのに必要なことがアート思考やデザイン思考だと信じている。

※この記事は代表幹事の浅井由剛が執筆したNOTEの記事を転載したものです。
NOTEの記事はこちら

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