自称「アジアとヨーロッパの架け橋」(ブルガリア、ハンガリーもまた、アジアとヨーロッパの架け橋と自負している)と言われるイスタンブールを旅した時に訪れたアヤソフィアは、オスマントルコ時代のモスクとして観光客に人気の高いスポットだ。
現在は、モスクとしての機能はなく、博物館として一般公開され、漆喰が剥がれて出現した有名なキリストのモザイク画を見ることができる。漆喰が剥がれて出現した有名なキリストのモザイク画を見ることができる。アヤソフィアは、東ローマ帝国である、ビザンチン帝国の首都、コンスタンティノープルのキリスト総主教庁の教会であった。
何度か崩壊と修復を繰り返し現在の形の原型になったのが994年のことであると言う。
1453年、オスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープルを陥落させたことで、東ローマ帝国は滅亡した。その後、イラスム文化の中心としてアヤソフィアはモスクに改修されていく。
イスラム建築家のミマール・シナンがキリスト教の建築物を最終的にイスラム文化でも有数な建築にしたと言われている。
アヤソフィアの内部の壁に様々なキリスト教美術としてモザイク画が描かれていたが、それを漆喰で固め、そこにミンバル(説教台)、ミフラーブ(カアバの方向を示す設備)が設置されていった。
キリスト教文化であったものが覆い隠され、そこに新しいイスラム文化が上塗りされていった。
オスマン帝国が一大帝国を築いていくに従い、キリスト教文化は完全にイスラム文化に吸収された言ったと言える。
キリスト教とイスラムと言うわかりやすい対立構造であるが、占領したものが占領されたもののアートを否定し、覆い隠した有名な行為である。
退廃芸術(Degenerate Art)とは、ナチス政権が、18世紀末から19世紀にかけて台頭して来たモダンアート(近代芸術)につけた名前である。
画家を夢見た青年だったヒトラーが、芸術として認めていたのが古代ギリシアやローマの古典的芸術であり、純粋な血統であるアーリア人種が築いたドイツロマン主義だった。
19世紀末から起こったデカダンスを経て、ポストモダンに移行する前の近代アートは、精神異常者の芸術とあり、モダンアートを牽引する最新鋭のアーティストは精神的に退廃しているという仮説に基づいたネーミングだ。
フォーヴィスム、キュビスム、ダダ、シュルレアリスム、象徴主義、後期印象派などは、情緒的でドラマチックなロマン主義とは対峙するものである。難解で理解に時間のかかるモダンアートは、国を退廃させる芸術であり、またユダヤ人が、アートの市場に大きく関わっていたことが、排除するものであり、弾圧すべき大きな理由だった。
この思想が、1937年の大ドイツ芸術展に開催につながり、見せしめとしてモダンアートの展示を大々的におこなう。
ここで展示された画家たちは次第に海外へ逃走しなければならなくなる。
この芸術展の展示方法は意図的に狭く、暗く、素材がそのまま露出されている様な作品展示だったようだ。そうすることにより、モダンアートの作者の異常性をより強調していたようである。
この芸術の弾圧がきっかけで、デザインを勉強する者には切ってもきれないバウハウスの閉校につながっていく。
これは、ナチスによる力ずくの芸術運動であり、自由な発想と個人主義の表現を否定したものである。
現代に通ずる、自我の概念やアートの概念を構築して来たのもドイツであるが、このナチスの台頭により、そのアートが力ずくで完全に否定された。
中国の文化大革命では、宗教と言論を中心に文化が徹底的に破壊された。
歪曲したマルクス主義の解釈から、宗教が完全に否定され、古来からつづく中国の寺院は同胞に破壊された。
日本では、生きる知恵の宝庫とされビジネスパーソンにも人気の高い、論語の孔子や孟子も悪人とされ、儒教の思想も否定された。
階級闘争の文化大革命は、労働者階級が国の中心となるための闘争であり、労働者階級はつつましくあれと言うのが常識であったと言う。
絵を描いたり、音楽を奏でることは優雅なことであり、ブルジョワ階級のたしなみとされ、労働者階級には不要なものであり、ファッションとしての洋服も不要とされ、機能だけで着用する人民服のみとなる。
この文化大革命と言う10年間の出来事のなかで、アートは中国から完全に消し去られることになる。
その後、鄧小平が遂行した中国経済の改革解放からはじまり、GDP世界第二位にまだ拡大成長した中国経済は、否定したはずの文化(ソフトパワー)の獲得に動いている。
アメリカと対等するまでになった中国が圧倒的に不足しているものがソフトパワーと認識しているようである。
中国の支配欲は、このコロナ禍でも着々と行動しているように見える。
もともと世界を支配するなどと言うモチベーションを持たない日本人にはまったく理解できない思考であるが、支配するための手段は、経済力と軍事力だけではないと中国はわかっている。
ここ最近の中国企業のプロダクトのデザインはかなり優れているものが多く中国製品に多いとされた意匠のコピー品などはかなり減っている。
なにかと話題になるファーウェイのデザインも、ロゴマークからはじまり、製品のデザインも秀逸なものばかりである。
世界を支配するためには、機能のみならず非言語的にユーザーの意識に入り込む必要があるとわかっているとしか考えられない。
世界最大の現代アートの展示会、Art Baselが出しているThe Art Market 2020のリポートを見ると、現代アート市場は1位アメリカ、2位イギリス、3位中国の3ヶ国で全体のほぼ3/4以上だ。
つまり一度は否定したアートを中国は完全に取り入れ、アートの世界でも物を言える立場となり影響力をつけたと言っていいと言うことだ。
中国はソフトパワーでも支配力を増して来ている。
支配力が増したと言うことは、何を美とするか決める力があると言うことになる。
これをどう捉えるかは人により様々だが、人を支配するためには美の価値観のコントロールも必要だと言うことである。
人の感性に訴えかけるアートは、支配に対して抵抗する表現の場合もあるが、実は感性の心地よさの中にいつの間にか支配の構造が出来上がっている場合がある。
過去のように軍事力で支配することが不可能な現代は、感性を利用した表出されない支配に溢れている。
受け身のアートから、どうアートを利用するかが日本の価値を高めるキーポイントだ。
このことを理解した上で、さらなるアートの力を探求できたらと思う。
※この記事は代表幹事の浅井由剛が執筆したNOTEの記事を転載したものです。
NOTEの記事はこちら
静岡県沼津市生まれ
武蔵美術大学 空間演出デザイン卒業
大学卒業後、3年間、世界各地で働きながらバックパッカー生活を送る。
放浪中に、多様な価値観に触れ、本格的にデザインの世界に入るきっかけとなる。
2008年株式会社カラーコード設立。
デザイン制作をするかたわら、ふつうの人のためのデザイン講座、企業研修の講師を務める。
現在は、京都芸術大学准教授として教鞭ととりつつ、アート思考を活かしたデザインコンサルティングをおこなう。