私は、創造力の源泉は、感性にあると考えています。
私たちの創造力は、それぞれの個性や過去の経験だけでなく、生まれ育った土地の文化的特性の影響も強く受けています。
「日本文化の中に流れる日本的なものとは何か」
日本の文化的特性を今一度見つめ直すことで創造のヒントにできたらと思い、本書を選びました。
目次
まえがき
感性とは何か
Ⅰ 語彙
Ⅱ 文法
結び 日本的感性の構造
あとがき
花の好みからわかる、日本と西洋の違い
本書は、和歌を通して、日本文化に固有の感性的個性を明らかにすることを目指しています。
和歌の中に度々読まれる、「おもかげ」「なごり」「なつかしさ」などの言葉や、「風」「香り」などのモチーフがどのように扱われているかを考察。
この考察を土台にして、徐々に日本的感性の姿を明らかにしていきます。
本書で述べられる日本的感性とはどのようなものか、そのエッセンスをご紹介したいと思います。
筆者は、日本的感性の特徴を明らかにするための対立項として、西洋的感性と比較します。
まず、西洋の近代思想について以下のように述べています。
西洋の近代思想は、認識する「我」を中心におき(主観)、この我が対象(客観)を捉える、という主観―客観の軸に添って構成された。
『日本的感性 触覚とずらしの構造』(pp. 28)
本書では、バラやチューリップのような一輪花を好む西洋に対して、日本人は桜を好むことを例に挙げます。
西洋では、花そのものを鑑賞しますが、日本では桜に包まれていたり散って行ったりする様子を美しいと感じる傾向にあります。
これは、明瞭に見つめるべき対象に美を見出す西洋に対し、日本は対象ではなく、我々を包み込む広がり(空間)に美を見出すからだと言います。
日本的感性の基調としての「触覚」
我々を包み込む広がりに美を見出すとは、どういうことか、考えてみましょう。
これは美的対象が、自分と離れて独立した対象として存在するのではなく、自分と接触しているということです。
西洋的感性は、主観が対象に向かい合い、明確に距離をとります。
一方の日本的感性は、主観と対象が分断されることなく、接触していると筆者は述べています。先程の「桜に包まれている」というのも、接触している状態です。
ここから筆者は、日本的感性の基調として、「触覚性」を見出せると言います。
原点の曖昧さと「ずらし」
和歌の特徴として、筆者は「原点の曖昧さ」を挙げています。ここでは「原点」として、時制と人称の曖昧さについて言及しています。
今、目の前にあるものの印象を描写しつつ、過去の残像を見つめたり、未来に投影したりしています。これが、時制の曖昧さです。
歌われているものが、実際にそこにあるものなのか、過去の記憶から呼び起こしたものなのか。文法や背景から読み解くことができることもあれば、読者の想像に委ねられることもあります。
和歌では、主語の人称が入れ替わることがおこります。これが、人称の曖昧さです。
難解といわれる和歌には、短い歌の中で何度も人称の入れ替わりが起こるものもあるそうです。
このように、時制や人称が一点にはっきりと定まらず、融通無碍に変化しています。
時制や視点をずらしながら、時空間を行き来する。
これが、筆者が日本的感性の構造として取り上げた「ずらし」の一つです。
日本的感性は、触覚性を基調とし、ずらしによって動きを与えるという構造で成り立っている、というのが筆者の主張です。
自分の感性を見つめ直す
今まで曖昧なものと考えてきた日本的感性について、ここまではっきりと示されていることに、驚きを感じています。
本書を読んだことで、今までなかなか言葉にすることができなかった、自分の中の美的感覚や創造力の源泉がぼんやりとですが、見えてきそうな気がしています。
アート思考のためには、自分の内面と深く向き合う必要がある、と私は考えています。本書は、日本的感性とは何なのかを通じて自分自身の感性や美的感覚を見つめ直すきっかけを与えてくれました。
とても深みのある本なので、まだまだ理解できていないところもあります。
何度か読み込みながら、自分の内側と対話しつつ、さらに理解を深めていきたいと思います。
和歌から要素を見出し、仮説を立てて検証していく本書。筆者の思索の道筋をたどる過程は、非常にエキサイティングなものでした。
ぜひ一読をお勧めします。
1991年福岡生まれ。
幼い頃に経験した、感動体験をきっかけに芸術に興味を持つようになる。
山口大学教育学部 文芸能コースに入学。
美術・音楽・文学・映像など、様々な芸術分野を横断的に学び、文化のつながりや奥深さ、芸術の美しさに感銘を受ける。
卒業後、一般企業に勤めながら学びを深め、芸術や学問のおもしろさを伝えるためにミニセミナーや座談会などを開催している。