一目で診断をつけたり,次々と的確な判断を下す先輩や指導医に私たちは憧憬を隠せません。観察には「隅々まで」「俯瞰的に」など,いろいろなコツはありますが今回伝えたいのはただ一つ,「みる時間を増やすこと」です。外来診察や病棟回診で,患者とその周辺情報を“みる”時間を意識的に増やしてみましょう。
重要な情報は目立つところにあるとは限らない
マネの「フォリー・ベルジェールのバー」(図)は有名ですから,見たことがある人も多いでしょう。どんな情景が描かれているでしょうか? 中央の女性がこちらを向いています。机には酒瓶のようなものがたくさん。ここはバーでしょうか? そうすると彼女はバーテンダー?
図 フォリー・ベルジェールのバー(エドゥアール・マネ) |
最初に目に映るのはこんなところかもしれません。ここからさらに“時間を掛けて”隅々までみてみます。右上には女性と話すシルクハットの男性,左上には目立たないですが,先が尖った靴を履いた足がチラリとみえています。この足が棒の上に立っているのは空中ブランコ乗りだからでしょうか? 酒を飲み交わす場所で頭上のサーカスも楽しめる,ちょっと非日常的な空間のようです。場所や時代を推測していくとしたら,左上に小さく描かれた目立たない足は重要な情報となるに違いありません。
時間を掛けて“みる”ことでフィルターを取り払う
私たちは普段から,自分の経験や所属する文化,興味関心などのさまざまな“フィルター”を通して世界をみています。前回(第3391号)書いたように,私たちの目はなるべく短時間で,労力を少なく済まそうとサボろうとします。そのため時間を掛けずに,全てを見た気になってしまうことが非常に多い点に注意が必要です。時間を掛けて“みる”,たったそれだけの工夫でサボりたがる目を覆うフィルターを外して,対象をさまざまな側面からみることができるようになるのです。
今よりも少しだけ観察時間を増やせば,みるみる気付きは増えていきます。例えば,「家族の話題を出したときに一瞬表情が曇ったな」や「眼瞼結膜に赤みが差しているな」,「テーブルに置かれた本のしおりの位置が昨日から進んでいないな」など。気付いたことを聞いてみれば,それだけで患者の表情は輝き,関係性が向上するかもしれません。そして診断の鍵となる情報の糸口につながるかもしれないし,急変の早期の徴候を察知できるかもしれません。患者さんの表情には快・不快,不安や恐怖,怒りなどの感情が正直に表現されるため,自分の診療が独りよがりにならないためのメルクマールとなってくれます。
自分だけの観察力を身につけて
技術とは頭で理解するものではなく,実際に身体を動かして身につけるもの。観察力も例外ではありません。熟練するまでに時間と手間は掛かりますが,観察力は身につけることで唯一無二の“診療道具”として研ぎ澄ませることができるのです。そしてもし診療以外の時間でも観察の習慣を訓練できるとしたら,さらなる成長の機会を得られると思いませんか。その一助となるのがアート作品なのです。アート作品はあなたの価値観をゆさぶり,目を鍛える格好の練習相手になってくれます。
時間を掛けて“みる”習慣は,決して無駄になりません。その先には必ずあなたの理想とする診療スタイルが待っていることでしょう。
※この記事はアート思考研究会会員の森永が執筆した医学書院発行 週刊医学界新聞 連載記事を転載したものです。
医学書院発行 週刊医学界新聞の連載「名画で鍛える診療のエッセンス」(URL: https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/series/194)では、最新のものを含むすべての連載記事が掲載されています。
内科医・医学教育コンサルタント
筑波大学医学専門学群医学類卒、諏訪中央病院で内科医として最初の5年の研鑽を積み、2016年獨協医科大学総合診療科の立ち上げに関わる。診療と並行して2020年度から京都芸術大学大学院学際デザイン領域に進学中。アートの題材や視点の有用性に着目し、同年6月”医学教育を観察と対話から”を合言葉に教育コンサルティング事業として”ミルキク”を起業した。現在は対話型鑑賞を活用し、当大学での医学生・看護学生を対象にした授業、看護師、メディカルソーシャルワーカー、医療系起業などを対象にしたセミナー等を展開中。