佐藤可士和展@国立美術館が盛況の様です。佐藤可士和氏の作品or商品はアートなのかデザインなのか?
商業的なデザインは資本主義的な経済の中にある利潤追求のツールである。これは事実です。佐藤可士和さんのデザインの数々は多岐に渡り、商品の売り上げ、あるいは企業ブランディングに貢献し、経済的効果も明らかです。
アートは作家の内発的な心象としての表現で商業とは対局にあるという人もいますが、一方でアート市場の規模は今高騰し7兆円の市場規模です。(東洋経済「特集 :アートとお金」)経済全体を捉えると、いずれも資本主義経済の中で大きな経済効果を生んでいます。さらに、国立美術館は佐藤可士和展を開催することでコロナ禍の中、多くを鑑賞者を集客し収益をあげているわけです。
これが芸術で、これは芸術ではない。一応の定義も様々ありますが、その定義も、鑑賞者の感じ方によりますから敢えてここでは人間の創造性と定義してしまえばデザインやサイエンス、テクノロジーまでもアートの文脈に入ります。これを、拡大解釈と見られる方もいると思いますが、一鑑賞者としての私個人の解釈として尊重されるものではないでしょうか。そもそもアートに正解があるでしょうか?この作品は正解で、この作品は不正解。そう見ている人がいたらそれも自由ですが、とても残念に感じます。
表現という視点から見ればデザイナーは<他人軸>から発想します。お客さんやクライアントのニーズが元になりますが、そこに本人の内発的表現や直感つまり創造性が皆無かと言ったらそんなことはないでしょう。
一方、芸術家は自己の内面から問題提議します。その点において他人起点か自分起点かという意味で表現の目的は大きく違いがあります。ただ、その表現においてはデザイナーもアートから影響は受けていますし、アーティストが作品を作るときにデザインの概念がなければ構図は描けないでしょう。
私の見解はどちらかではなくどちらもだと思います。人の創造性という視点においてはデザイナーもアーティストも起業家も同じだと思っています。
そこに線引きをして二項対立の構造をつくる事は何を解決しないし、なにも生み出さないと思います。
国立美術館は展示をこの様に紹介しています。
「佐藤の数々の仕事を「作品」として鑑賞する刺激的な体験を通して、その唯一無二のクリエイティビティを体感することになるでしょう。」
仕事を「作品」として鑑賞する、そこにあるクリエイティビティーによる刺激が大切だということです。
SMAPのジャケットから入った若者たちがデザインの素晴らしさに気がついて、そこからアートの世界にひろがるとすれば、デザインの入り口、アートの入り口どちらもあって良いと思います。
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1966年生まれ、日本大学芸術学部 演劇学科卒業。
アート×デザイン思考講師/ トヨタ自動車から内閣府まで新規事業開発専門のフリーエージェントを経て公益代理店 一般社団法人i-baを設立。熊本大学「地方創生とSDGs」/京都芸術大学「縄文からAIまでのアート思考」非常勤講師。地域デザイン学会 参与。FreedomSunset@江ノ島主催。DJ/トランペッター。逗子アートフェスティバル2017・2020プロデューサー。
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