【縄文式アート思考】

なぜ、今縄文なのか?コロナウィルスによって資本主義の崩壊が加速していく中で資本主義の限界の向こうにある社会はどうなるのか?
社会学、哲学、経済学、芸術など様々な視点から予測不可能な未来を探求する上で縄文時代が大きなヒントとなると考えています。縄文時代は1万年以上続いた狩猟採集時代です。現在、様々な発掘調査によって注目を浴びる様になるまで、歴史区分で言うと原始時代に属し文明のない未開の時代として扱われていました。それどころか、2002年度以降の小学校の教科書は弥生時代からの記述となり、旧石器時代、縄文時代は教科書にほぼ記載がなく、2008年になってはじめて、縄文時代が記述されたそうです。この背景には農耕が始まるか始まらないか、つまり、生産性がなく、社会システムとしての階級がなく、私財もないその日暮らしの様な生活は、歴史的には未開の時代とみなし、文明は農耕が始まってから。という定義があったからからです。(そのウラには歴史的な背景から不都合な真実があったのも否めませんが、、)つまり、近代合理主義の社会で封印されていた時代と言えます。ところが今、縄文時代に大きな注目が集まっています。

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イスラエルの歴史学者で、世界的ベストセラー「ホモ・サピエンス」「ホモ・デウス」の著者・ユバール・ノア・ハラリ氏は「21世紀の人間は狩猟民族に学ぶべきだ」と言っています。文明の繁栄は農耕から始まる、とする近代文明に対し「人間は小麦に家畜化された」として、「農耕民は平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。」(「サピエンス全史 第2章・農業革命 第5章・農耕がもたらした繁栄と悲劇」より)と記載し、農業革命が貨幣・階級と差別の社会構造等を産み出し、支配層以外は「家畜」になったのだ・・と主張します。 
では、原始的な狩猟民族から何を学ぶのか?「その理由の1つは環境適応能力です。自然をコントロールしようとすることなく、あるがままの自然を相手に自らを適応させ柔軟に暮らしていたこと。もう1つは狩猟民族として生き延びるための鋭い五感を持っていた事だ」と指摘しています。

また、NYの名門デザインスクール界隈で注目されるPluriversal Design(多元的なデザイン)の文脈でも「アフリカの部族のデザインシステム(”システム”と呼べるほど組織化されたものではないが、部族内に古くから伝わる”何か”)の話があったり、人間をヒエラルキーの頂点とするのではなく、人間とそれ以外のエンティティをもっとフラット化していくアニミズムにも関連するような議論が行われている。(欧米)人類の文明がその他の自然を操作する、という観念体系が出来上がった。その結果、「自己」と「他者」という概念を通して、自然とのエコシステムは軽視され、現在我々が直面する複雑な問題(wicked problem)を生んでしまった。(NY在住のパーソンズ美術大学にてペキュラティブデザインを探究するMASAさんのノートより引用)

ここでも、資本主義の限界をアニミズムや禅といった視点から見直す動きが生まれています。自然と非自然や人と物、日常における支配と被支配、雇用、被雇用の関係を無化する概念。万物は多様に繋がっていて二元論的な境界などない。という考え方が注目されています。

現在まで縄文は、未開人の社会という印象でしたが、農耕以前の縄文には感謝による循環経済やシェアリングエコノミーが存在し争いのない平和な社会の構造は、もしかすると自立分散型のヒエラルキーのないティール組織に近い多様性をもったコミュニティー社会であったのではないか?ということが想像されるのです。さらに土器や土偶に代表される表現力豊かな芸術作品が数多く生み出された非常に優れた文化があったことがわかってきました。

芸術の視点からみて興味深いのは土器の造形美です。その魅力を再認識したのは、私が講師をしている京都美術大学の「縄文からAIまでのアート思考」の講義で受講生から「なぜ縄文式土器には渦巻きのような模様が多いのか?」という質問からでした。
火焔型土器(トップ画像)含め多くの縄文式土器に描かれている渦は一説によると蛇のモチーフだと言われています。蛇は古来より山の神の使いで神話にも登場し、神社のしめ縄にもなっているという理由だそうです。
私はそこにちょっと違和感を感じていて、はたして当時の蛇にそこまで神的なシンボルを見ていたのだろうか?つまり、それほどまでに蛇が重要なモチーフであったろうか?という疑問でした。縄文の考察は文献(文字)がない時代なので、憶測の域を出ない部分も多く、そこが縄文の魅力でもあるのですが、そんなに蛇?という疑問が拭えなかったのです。         
そこで、私は縄文人の日常的な風景と視覚認識に注目しました。彼らは何を見て生活していたのか?常に雲や川や海のうねり、たき火の火や風に揺れる草木を見て暮らしています。それらを観察することが生きるために必要なことなのです。そして、ハラリ氏が指摘するように鋭い五感と自然に対する感謝と畏敬の念を持って日々自然を観察していたとすれば渦巻きのような模様は川や雲、火や煙といった自然の流体を可視化したのではないか、そこに生命の息吹を感じていたのではないかと思いました。

レオナルド・ダ・ビンチが描いた水の絵です。よく見ると渦の中にさらに小さな渦が書き込まれていて無限の渦の構造が見て取れます。ルネッサンス期に芸術と自然科学、建築や解剖学までを統合してみていた観察力の鋭いレオナルドですから単なる水の流れではなくその流れの構造を渦の集合であると見たのでしょう。始まりも終わりもない無限小の渦は自然の造形の一つであることがわかります。
 レオナルドの残した5000ページ以上にも及ぶメモをAIが解析するというNHKの番組で当時の死体の解剖技術では当然わかるはずもない血液の流れを彼は既に表現していました。何故レオナルドは血液の流れを表現する事ができたのか?
それは、彼が観察力と結び付けて考える柔軟な発想力を身につけていたからだと言います。
川、水、そして渦を事細かに観察して、これを血液の流れに関連付けて思考していたことがわかりました。観察によって知った水の流れと身体の中を流れる血液の渦を結びつけたのです。

つまり、自然の観察によって法則を発見し、それを身体の中の仕組みと柔軟に融合したのだと考えられます。(ダビンチミステリー NHK)

 縄文人の眺めた自然の可視化について「双子渦とカルマン渦の発見者は縄文人」という論文で「川の岸辺に近 づいて、川の流れに浮かぶ杉や松の花粉や落ち葉や花びらなどをトレーサとして、川の岸辺の葦や杭や石の後ろにできる双子渦やカルマン渦眺め、土器に文様として移したに違いない」
(可視化情報Vol.24Suppl.No.1(2004年7月))と書かれています。海や川や雲といった動きを表すのに渦を用いたのではないでしょうか。同時にそれら自然に対する感謝と畏敬の念を可視化したとも思われます。

また、岡本太郎が驚愕したのは「非情なアシンメトリー、そのたくましい不調和のバランス、これこそわれわれが縄文土器によって学ぶべき大きな課題であると私は信ずる」(「四次元との対話 縄文土器論」岡本太郎 1952年)彼らの視覚は常に変化する自然そのものをみているから非対称となります。人間ですら左右対称な人はいません。直感的にバイアスなく自然を見れば自然界は非対称なものに溢れています。彼らは造形的な利便性以上に非対称のリアリティーに安心を求めていないのではないでしょうか。
だからこそ非対称でうねるような自然のありのままを造形として表現しているのではないか、、、

諸説ありますが、当時の土器の整形の多くは女性が行っていたという説があります。性差がどれだけ土器の個性として反映しているかは、その時代の社会的背景にもよりますが、脳生理学的には、脳梁とよばれる左右の大脳半球を接続する神経線維が女性は男性よりも大きく左右の脳のやりとりが頻繁であることから女性は男性よりも感情について敏感に意識化・言語化できると考えられていました。最近の研究では脳に性差がないとの報告もあり、定かではないとされていますが、実生活の中の会話やコミュニケーションの中で男子が女子会トークについていけないのは女性の方がより感覚的で全体的な流れで会話を楽しみ、男性は一つ一つの文脈に結論や着地点を求めます。この様に男性は比較的論理的思考で、女性は直感的思考であるというのが一般的です。
ここからは憶測の域を出ませんが、当時の男性はロジカルな思考以上に狩りを行う上で洞察力や直感的な本能の部分が求められるため男性の取り柄とされたロジカルな思考が抑制されていたのではないかとも考えられます。

対照的に弥生時代に入ると自然の大地を農地として区画整理し、収穫という時間の制約に追われるようになります。そして、身分や地位がうまれ社会も構造化していきます。つまり、時間の制約と幾何学的造形に対するの概念やヒエラルキーが生まれることで、自然はありのままの自然から制御すべき自然になり、弥生にかけて次第に直感的で視覚的な感覚を土器に表現することがなくなったのではないか?と考えられるのです。

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弥生式土器の形状はとても洗練されて薄くなります。
弥生時代から農耕がはじまることで土地を所有し計画的に人間の力で自然から収穫を生みだすことから資本主義の原型がはじまります。社会が整備され、ヒエラルキーが生まれ貧富の差から争いが始まります。男性主権の権力の時代へと変わっていくのです。それに伴い、岡本太郎氏が衝撃を覚えたあの圧倒的な自由と存在感を持った縄文式土器は失われていくのです。

ポストコロナの時代は同時に資本主義の限界を意味するとすれば、新しい時代の世界観や価値観をどのように捉えたらよいのか?『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)の著者山口 周さんは、今の日本の価値観が大きな変わり目に来ているといいます。『「便利さの価値」がデフレしている一方で、情緒やロマンを伴う「不便さの価値」は大きくインフレしている』つまり、機能性から情緒性に価値が変わってきているといいます。縄文という時代に対する注目度の高まりは、弥生式土器の利便性と縄文式土器の圧倒的な情緒性、経済の発展が生んだ便利さの価値が壊れ、不便さの中にロマンや創造性の発露を見る事が時代の価値観にも芽生えているという背景からもあるのかもしれません。

アートの文脈だけでなく、谷中修吾著「最強の縄文型ビジネス イノベーションを生み出す4つの原則」(日本経済新聞出版)によればビジネスシーンからも縄文式が注目されていることがわかります。

上記を見ればわかるように、縄文型のビジネスウレームワークはアート思考をもとにしたビジネスのフレームワークとも共通点があります。弥生型のビジネスの計画的なロジカル思考に対し、縄文は直感的なアート思考です。協調的、つまりオープンイノベーション意味するとすれば、今求められている新規事業を生む環境に必要な要素だとも言えます。

ポスト資本主義や欧米が依存してきた二元論の向こうにある並列社会や多様性。もし、そのモデルに近いものがあるとすれば、縄文の社会システムや偏在する神々=八百万、または禅といった私たちの精神の潜在的なルーツに新しい社会へのヒントがあるように思えてならないのです。

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