芸術崇拝の思想~ 政教分離とヨーロッパの新しい神

「芸術的」という言葉をよく目にします。

芸術的なヘアスタイルにする、芸術的ゴールを決めた、芸術的センスがあるなど、この形容動詞は、すべてのものを非日常的なもの、人知を超えたものにしてしまうマジックワードのようです。

そして、私たちは、芸術的という言葉を使うことで、不可知なものを受容できるようになります。そこには、人間が作り出した芸術をいつの間にか、高みに押し上げ、崇拝するという近代西洋文化の思想があるのです。なぜ、芸術がそのように解釈されるに至ったのかを解説してくれるのがこの本です。

連綿と続く芸術史のなかで、芸術を「よくわからない」「わかる人にしかわからない」「自分自身で解釈する」などと捉えるのは近代からであり、ここ200年の産物だということがわかります。

アート思考研究会のひとりとして、アート(芸術)の持つさまざまな可能性を信じているものの、反面、芸術の持つ権威的、威圧的、欺瞞的な部分があるということをしっかりと注視しなければならないと思います。

2018年、10の出版社が共同で書物を復刊させる「書物復権」のキャンペーンで復刊した本です。

芸術はいかにして〈神〉となったのか。宗教に代わる新しい支配原理となっていった芸術の思想を、民族、歴史、文化などの問題とからめて論じていく。(amazonより)

<目次>
第1章  芸術の価値とは何か?
第2章  革命思想としての啓蒙主義
第3章  芸術神学の誕生
第4章  「民族」「歴史」との一体化
第5章  制度化された芸術
終 章  芸術崇拝の行方

「芸術」を理解するとは

まず、著者のあとがきから引用します。

「この本は「芸術」否定の書である。しかし個々に存在している作品を否定する書ではない。むしろ、あまりにも高みに押し上げられ、崇拝され、礼拝される西欧近代の芸術思想が、いうなれば人類史のなかで見ればほんの短期的な現象にすぎない「芸術崇拝の制度」が、芸術を思いあがらせ、逸脱させ、暴走化の方向へ導いてきたことを自覚し、作品をもっと等身大のものとして見る方向で、個々の作品のあるべき価値をもう一度確認する手がかりを見出そうとする書である」

『芸術崇拝の思想 政教分離とヨーロッパの新しい神』p. 299

この一節は、多くの人が持つ芸術に対する違和感を示唆するものであり、疑問を明文化したものと言えます。多くの人が持つ違和感のもとには、「芸術の何がそんなにすごいのかわからない」「わからないものを理解せよという脅迫性」という芸術に対する不信感と権威的な態度への嫌悪があると思います。一般の人が抱く、「芸術作品を見ても、どう解釈していいかわからない」「どうしたら芸術がわかるようになるのか」という疑問に対して、著者は小林秀雄のエッセイを引用し、そこに潜む、芸術は価値あるものだという前提と、そこにある芸術がわからない者は「俗物」であるという思想の欺瞞を浮き彫りにします。

私自身も、芸術作品を創作する思考のプロセスには、多くの人が創造性を構築するためのヒントがあると感じているものの、出来上がった芸術作品を経済システムの中に取り入れた際の超高額な取引額の格差と、文化として取り入れる際の芸術への特別視には疑問を持ちます。

それが、著者の言う表出されない「芸術崇拝の制度」によるものであり、その「芸術崇拝の制度」が作られてきたプロセスを理解すると腑に落ちるのです。

「芸術崇拝」へのプロセス

西欧では、宗教が拠り所として社会を構成し秩序を保っていましたが、ルネッサンス以降、王権が社会の主軸となり専制君主制の社会へ変わりました。18世紀末の啓蒙思想がきっかけとなり時代を変えたフランス革命で、専制君主制が崩れ、国家という概念が形成され始めます。さらに個人という概念が生まれ、価値観が大幅に変化しました。

国家が、これまでの宗教でもなく、絶対王政でもない、臣民の統治のための制度として発明したものが「芸術」「歴史」「文化」「科学」になります。そのなかでも「芸術」は、ギリシア美術を人類の美の源泉とし、西欧の芸術の最高規範とする思想が普及していきました。西欧において、ギリシアとは、現実のギリシアであったことは一度もなく、理想のユートピアであり、西欧文化のアイデンティティ、教養、自己形成の投影としての存在だといいます。多数の臣民を統合するために国家が宗教の代わりに見出したものが芸術宗教(芸術崇拝)であり、その「神殿」が美術館であったと著者は主張します。つまり、芸術は、ヨーロッパの近代国家の形成にとって不可欠なものとして生まれたのです。

啓蒙主義やロマン主義といった、個人としての自己形成の概念としての芸術は20世紀になってからのことであり、芸術は根本的には国家が作り出したものであるのです。

芸術家のイメージ

ルネサンス期の大家とみなす画家たちは、描く題材はすべて注文主によって指定され、使用するキャンバスの板の大きさ、材質、等級、価格、さらには絵具、顔料の品質、等級、価格まで指定されていたそうです。現代のイメージする芸術家というよりもデザイナーに近い仕事であったと想像ができます。

本書には書いていませんが、ミケランジェロや、レンブラント、フェルメールなどのエピソードを知ると、彼らは現代のデザイナーに近いライフスタイルで、報酬もクライアントの目的を果たすためのグラフィカルな表現の対価として受け取っています。

現代のイメージする芸術家とは、反権力であり反社会性を標榜し自由に行動できる人を指す場合が多いですが、著者は現代の芸術家のイメージをこう言います。

「市民社会の煩わしいルールから超然として生きることのできる芸術家に自分たちの願望を投影して、芸術家が俗世から超然としていればいるほど、そこに一種の「聖性」を見出していく」

『芸術崇拝の思想 政教分離とヨーロッパの新しい神』p. 27)

社会が求めている芸術家のイメージを体現すると、芸術家はトリックスターとしての役割を演じていると著者は言います。

特に日本では芸術家に対する作られたイメージが強く、日常生活がままならず、人とは協調せず、自分のルールに固執し、社会のルールは無視するような人物像として芸術家が理解されているのではと思います。

等身大の芸術

近代以前の芸術は、目的のために制作されました。

前述したミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画や、レンブラントの「夜警」、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」なども目的があり描かれたのです。

レンブラント「夜警」

しかし、近代以降の芸術は何の役にも立たない存在であるがゆえに、さらに価値を高めざるを得ません。無目的ゆえに、本質である、究極の目的の「神的価値」への到達が芸術の最終目標となっていったといいます。

「技術」「科学」が目的を持っている分、「芸術」の無目的性は「神聖」にならざるを得ず、その「神聖」という幻想が「芸術」を傲慢にさせ、芸術家自身を反権力、反社会性の日常からかけ離れた不遜な態度にさせてしまっているといいます。

著者の主張する西欧の「芸術崇拝の制度」をもう一度俯瞰して見つめ、その制度に潜む横暴な芸術の権威や、演出としての芸術家があるということを認識した上で、もう一度、芸術とは何かを問い、ひとりの人間としての等身大の芸術を見つめていきたいと思います。

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