「異質」への理解が、自分の発想を多様化し、世界を広げる

かわいらしい金魚たちに、蛙、それらを上から見下ろす猫の描かれた表紙に、子供たちが目を輝かせます。

「ママ、その絵本なに〜。なんで、金魚が立っているの〜。どうして〜。」

そんな素朴な子供たちの問いに、ふと我にかえります。

有名な浮世絵師の絵だということはわかるのですが、なぜ金魚なのか、作者は何を意図してそれを描いたのかはわからず、娘への答えは「おもしろいね」としか言えない……。

アート鑑賞をしているとよくあることですね。

わからないまま通り過ぎてしまい、いつまでたってもわからないまま。

モチーフの意味がわかれば、この作品や作者の想いに、もっと「共感」できるのかもしれない。

知らない世界が広がっているのかもしれない。

ぼんやりと感じていたことを、改めて子供たちの問いから気づかされました。

「アートがわかる」と、私たちの生活やビジネスキャリアはどう変化するのでしょう。

そこで、書籍『アートがわかると世の中が見えてくる』の著者である京都女子大学准教授の前﨑信也さんに、お話を伺いました。

(インタビューは、アート思考研究会会員の小野寺香織が行いました。写真はすべて前﨑信也先生ご提供)

前﨑信也(まえざき・しんや)
1976年、滋賀県生まれ。京都女子大学生活造形学科准教授。龍谷大学文学部卒業後、英国に留学。ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院大学院修士課程修了・博士課程修了。PhD in History of Art(博士・美術史)。2008年から立命館大学で海外の美術館・博物館に所蔵される日本工芸のデジタル化に携わる。2015年から現職。専門は工芸文化史、文化情報学など。展覧会監修や、Google Arts and Culture の文化コンテンツ作成など多岐に渡る活動を行っている。著書・論文多数。

アートを通してわかるもの

小野寺 ご著書では、日本の「伝統文化」と呼ばれる美術や芸能がどういう目的で作られてきたのか、なぜそれらの多くが衰退し、風前の灯火と言える状態にあるのかに着眼されています。読み進めると、日本の歴史、世界の中で日本が置かれてきた状況、それを踏まえて形成された社会システムや教育制度から、多くの日本人が気づかない「日本」という国そのもののあり方が見えてきます。一方で、外国の方が日本の伝統芸能や文化を見てわかることや、日本人が海外のアート作品を見てわかるものもあるのでしょうか。

前﨑 それは、この本の前半で書いた福澤諭吉の話ですね。「日本の文化とは何か」ということを日本で最初に決めた人物の一人が彼です。茶道や華道、相撲や料理、織物や陶器といった、現在私たちが日本文化と思っているものを選び出し、それを日本人しか持っていない独自の文化として海外に発信することでこの国の独自性を保とうとしました。現代の我々にとっても他国の文化を知ることは、自分が誰かを確認する作業と言えます。知らない文化に触れて、それを「おもしろい」と思うのは自分の常識と違うからです。奈良の法隆寺が世界遺産に認定された理由で一番大切なことは「1200年以上も前に建てられて、まだ現役で使われている木造建築」が他にないからです。「それ」に価値があると気づけるのは「それ以外」を知る人。自分の国のアートという判断基準がないのに、外国のアートが良いのか悪いのかなんてわかる訳はないですよね。

小野寺 確かにそう言われてみると、異文化に接する時のおもしろさの基準は、自分の習慣や、日本の常識と無意識に比べている結果だったと気づきます。世界を知ることで、いかに自分が「異質」であるのかわかる。相手を知る以上に自己のアイデンティティを認識する作用の方が強いのかもしれません。

前﨑 そして「違い」のどこにおもしろさを感じるかは、その人の引き出しに何が入っているかにかかっています。生まれた場所や学んできたこと、どんな仕事をしているか、子供がいるかいないかなど、その人が持っている経験の全てが、新しいものに接した時の感情の強弱に作用します。

小野寺 同じものを見ても、そこから何を感じ取れるのかは、どれだけ広い知識を持っているかにかかっているということでしょう。そう考えると、作品のモチーフの意味がわかる人とわからない人では、作品から受け取れる情報量が格段に違うことと同じですね。

現代アートから見えてくる世界


小野寺 日本の伝統芸術ではなく、現代アートを見る時はいかがでしょうか。


前﨑  現代アートは日本の市場が大きくはないので、成功するには最初から世界を目指す必要があります。そこが大きく違いますね。結果として、海外で活躍している日本人アーティストたちは、世界市場で共感されるストーリーや、作品コンセプトを持っていることが重要になります。日本人にしか共感できない作品には意味がなく、世界という大きな分母の共感を得られるかが重要です。

最近であれば「環境」「差別」といったテーマが共感を得やすい。ただ、共感を得やすいコンセプトは刻々と変化していくので、今のアーティストに求められているものは二つあります。世界の大きな変化の流れを掴むことと、その潮流を踏まえて、明確なコンセプトをプレゼンできることです。日本のアーティストがやりがちなのは、プレゼンの最初に「なぜその作品が現代に存在すべきなのか」ではなく、その作品を作るのが技術的にいかに難しいかの説明してしまうこと。それでは世界から共感を得ることが難しい。

小野寺 今のお話、現在の日本企業の課題と同じではないかとハッとさせられました。世界がどこに向かって進んでいるのかいち早く掴み、それを踏まえたブランドメッセージやコーポレートコミットメントを打ち出し、適切な場で発信していくことが、日本企業がグローバルで成果をあげるためにも必要です。世界で成功するグローバルなトップ企業は、それができているからこそ、実績につながっています。

【世の中をわかるためのアートとの付き合い方】


小野寺 世の中をわかるためのアートとの向き合い方を教えてください。

前﨑 日本でも海外でもアートはお金持ちのものです。アートを理解するには、アーティストと作品だけを見るのではなく、それを支えてきた人たちにも目を向けるとわかりやすくなりますね。彼らはパトロンと呼ばれますが、一見、何の役にも立ちそうにないアートを彼らが支えてきた背景には必ず何か理由があります。

小野寺 「お金持ちのもの」と言われると「それなら自分は関係ない」とシャッターを閉めてしまう人もいるかもしれません。しかし、時代や社会を動かしている人々の思想を知らずにビジネスで成功するのは難しいということですね。



前﨑  アートは、世界のトップ中のトップの権力者やお金持ちが支え、歴史をつくってきました。その人たちの動きは世界の経済や政治の流れと連動しています。たとえば「これからは、アフリカの時代だ!」となれば、アフリカの美術が注目される。ある国の経済力が高まれば、おのずとその国の美術の価値も上がります。


小野寺 ここまでのお話から、アートを知ることは、世界でビジネスをしていく上でのツールにもなると感じました。過去の作品であれば、歴史上のどこかで、この作品がなぜ、文化的にも資産としても価値が認められてきたかの理由や時代背景。その延長線上にある現代アートでも、流行を見ていれば世界がどこに向かって進んでいくのかのヒントを得られます。

前﨑  そうですね。京都の企業の方に美術の見方をレクチャーすることもあるのですが、「商談で京都に来られた外国の方のほうが京都や日本の文化に詳しいことがある」と皆さんおっしゃいます。日本のビジネス界は経済学部や経営学部出身の方が多いですし、日本の文化や芸術を学ぶ機会が人生で一度もなかったので、苦手意識を持っている方が多いですよね。海外の方は、相手の文化を知っているということもビジネスで上手に使われているように見えます。

「サイコロ茶会」
【キュレーターの重要性と役割】


小野寺 アートの世界には、アーティスト、パトロン以外にも、イベントや展示を企画するキュレーターという方々がいます。今、彼らに求められる役割は何でしょうか。



前﨑  今、日本の多くのアーティストたちは世界のアート界と直につながろうとしています。本書で多く取り扱った明治から昭和という「伝統文化」の時代とは、国家が日本と言う国を外国にどう見せるべきかを考え、あるべき「美術」や「歴史」を創作し、発信した時代でした。「日本にはこんな変わった文化があって、その中でこの人は一番上手なんです!」というストーリーです。一方、現在のアーティストはこのように「まず日本ありき」ではなく、一個人として世界からの共感を得なければなりません。

四代田辺竹雲斎《GODAI−共鳴−》2017年、Pierre Marie Giraud galleryでの展示風景、Photo by Tadayuki Minamoto

前﨑先生は、長年、四代田辺竹雲斎氏の活動を記録・解説するサポートを行っている



これってオリンピック選手と似ています。トップ選手たちは、世界的な企業のスポンサーがつき、優秀なコーチがつき、一番成果が上がる場所でトレーニングをしています。我々は「日本人が身体的・精神的に優れているから多くの金メダルを獲得できた」と考えがちです。しかし実際は「世界レベルのトレーニング環境に身を置けた人に日本人が多かった」ということです。アートも同じです。現代美術を支えるパトロンが少ない日本では、世界で活躍できる環境に手の届く日本人アーティストが少なくなるのは仕方のないことです。政府も国民も「古い文化を守ろう」という意識はあるようですが、「新しい文化をつくろう」となると、どうしたらいいのかわからない。価値が出るかどうかわからないものに投資するのが苦手なんでしょうね。

これからのキュレーターに期待するのは、海外で活躍できる日本人アーティストを発掘しサポートすることだと思います。制作者の作品に対する想いは大切です。しかし、その想いだけではポテンシャルはあっても国際的になれないものも少なくありません。世界の時流を見極めて「あなたの作品にはこういう伝え方もある」と提案し、プロデュースする力を持った人がもっと必要ではないでしょうか。


小野寺 お話を伺いながら、私には「日本人アーティスト」が、そのまま「日本企業」に置き換わって聞こえていました。今、アートシーンでも、ビジネスシーンでも、この国で必要とされるのは、ここで前﨑さんがおっしゃったキュレーターの役割を果たせる人材であると思えてなりません。

【アートとビジネス】

小野寺 最後に、アートを知ることがビジネスにどのように生かせますか。

前﨑  ビジネスの方は目標に向かって最短距離でたどり着こうとしがちです。一方、アーティストはたとえ遠回りをして時間がかかっても、他人が考えないルートで社会にメッセージを伝えようとします。つまり、アートを知ることとは、ビジネス的な思考とは対極にある新しい思考のルートを手に入れることです。それがすぐに何かの役に立つかどうかはわかりません。でも、使えるルートを増やしていけば、ゴールにつながる誰も通ったことのない道が、いつか見つかるかもしれませんよね。

【インタビューを終えて】

インタビューの冒頭に「この本は分かりやすくするために、あえて深い内容に踏み込まず、サーフィンをしているかのように書きました」とおっしゃっていました。軽快な京都弁に、たとえをふんだんに用いた、わかりやすくておもしろい説明は、まるでサーフィンを楽しんでいるかのように、あっという間にインタビューの時間が過ぎてしまいました。

インタビュー後半では、今のアートシーンで、アーティストや日本美術に必要とされている世界の流れを掴むこと、明確なコンセプト打ち出すこと、世界に発信していくことの重要性についてもお話しいただき、アートとビジネスの共通点の多さに、改めて気づきました。

アートをわかることを通して得た知識は、皆さんにとって、自分の人生やビジネスキャリアにおける発想や気づきを豊かにし、心をも豊かにしてくれるものなのではないでしょうか。

最後に、『アートがわかると世の中が見えてくる』を読んだ後には、ぜひ、こちらの前﨑先生が亭主を務めるサイコロ茶会もご覧になってください。

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