アート思考関連の研究会にはじめて参加した帰りに、今回取り上げる本に出会いました。
最初は著書の川内有緒氏の文体に興味があり手に取りましたが、読み進める中で、主人公2人の活動の中にアート思考に通じるものを感じました。
経営者の志賀忠重氏には、生まれながらに持つ冒険心と興味の赴くままに進む強い好奇心。
現代アーティストの蔡國強(ツァイ・グオチャン)氏には、自分の精神の叫びという想いをアートの形にして伝えていく力。
この2人に宿るアート思考を是非、述べたいと思い、こちらの本を選びました。
2人の主人公の姿は、自分の内面に向き合い、湧き出た想いを形にするアート思考性が強く感じられます。
目次
プロローグ
はじめに
第一章 生まれながらの商売人 いわき・一九五〇年
第二章 風水を信じる町に生まれて 泉州・一九五七年
第三章 空を飛んで、山小屋で暮らす サンフランシスコ・一九七六年
第四章 爆発する夢 泉州・一九七八年
第五章 ふたつの星が出会うとき 東京・一九八六年
第六章 時代の物語が始まった いわき・一九九三年
第七章 キノコ雲のある風景 ニューヨーク・一九九五年
第八章 最果ての地 レゾリュート・一九九七年
第九章 氷上の再会 レゾリュート・一九九七年
第十章 旅人たち いわき・二〇〇四年
第十一章 私は信じたい ニューヨーク・二〇〇八年
第十二章 怒りの桜 いわき・二〇一一年
第十三章 龍が駆ける美術館 いわき・二〇一二年
第十四章 夜桜 いわき・二〇一五年
第十五章 空をゆく巨人 いわき・二〇一六年
エピローグ いわきの庭 ニュージャージー・二〇一七年
主な参考文献
謝辞
志賀忠重氏の冒険心
志賀氏が著者の川内有緒氏に対して述べた言葉に次のものがあります。
『一歩を踏み出したらそれが冒険なんでねえの? 川内さんはもう冒険をしてんだよ』
『空をゆく巨人』(p.12)
他者に投げかけた言葉ですが、「冒険心」にこそ志賀氏の精神が体現されていて、アート思考に通じるものがあります。
アート思考では、新しい考えや方法を生み出し、それを実行して何かを成し遂げることがキーポイントとなります。
志賀氏は、幼少の頃はひとりできりで過ごしたからこそ、面白いと思うことを自ら見出すことを覚えます。
たとえば、増水する川の橋桁(はしげた)から網を出して大量のドジョウを獲得することを考えます。また大学生のときには、手に入れたトラックの有効な活用方法はないかを考え、引っ越し業を思いつきます。大学で自らチラシを配り、住んでいる一室に電話を引いて成功するのです。
「あるモノを工夫して使う」「どうすればうまく物事を成すことができるか」といった興味のあることに飛びつき、新しい方法を生み出す活動力には、アート思考において重要な創意工夫の精神が見られます。
また、知識がないけれど家を建てたい思いに駆られ、無理だと考えずに、わからなければ人に聞きながら試行錯誤して実行する力などには、自分の思ったことを形にするといったアート思考の体現方法に繋がるものがあるように見受けられます。
そして、原発に対する憤り、いわきの美しさを取り戻したいという想いがあるからこそ、本人曰く250年は続く「いわき万本桜プロジェクト」が壮大なプロジェクトになり、続いていることがわかります。
アーティストたちは、様々な作品を生み出すために、自分の内面に向き合い伝えたいことを明確にして、失敗や修正を繰り返して試行錯誤をしていきますが、自分の興味のあることにとことん向き合い、うまくいく方法を編み出して成し遂げる志賀氏の姿とアーティストたちの創作プロセスが重なる気がします。
経営者として事業に成功するのみならず、蔡國強氏、冒険家・大場満郎氏といった自分の支援した方々が成功したのも、彼が諦めずに創意工夫して、うまくいく方法を生み出して、実行していく力があったからこそです。
人の才能に惚れ込む志賀氏は、蔡氏がいわきで制作したい作品のために、廃船を見つけ出したり、重機や導火線を無償で提供してもらえるようにしたり、必死で頭を下げて提供者を探し出します。その行動力が他の人を惹きつけて、蔡氏の壮大なプロジェクトが成功するきっかけとなるのです。
大場氏に関しては、彼をテレビで見て感動したことがきっかけでスポンサーとなり、大場氏の極海・1,730キロ横断の成功を信じ抜きます。志賀氏自身も自身の会社が潰れる覚悟で、帰国を2ヵ月遅らせカナダ最果てのムラ・レゾリュートに滞在し後方支援を続けます。
大場氏のプロジェクトでビデオ撮影に参加した名和氏という方の次の言葉が、志賀氏の人柄を表すだけでなく、アート思考が強く宿った精神を表しているように思います。
『普通ではできないことをどうやって実現するか考えるのが好きな人』
『空をゆく巨人』(p.156)
その他にも、彼のことを物語ったパートでは、どんな心持ちがあればアート思考を体現できるのか、我々にも参考になるヒントが散りばめられています。
蔡國強氏の想いを形にするプロセス
『きっと蔡にとって芸術とは、人為的につくられた国境という巨人をやすやすと超えていく巨人そのものなのだ』
『空をゆく巨人』(p.106)
「万里の頂上を1万メートル延長するプロジェクト」など、火薬を壮大に用いたアート作品で世界的に名を馳せたアーティスト・蔡國強氏の人物像を、川内氏はこう表現しました。
天安門事件で自由が弾圧されることに怒りを覚え、その「怒り」をどんどん燃えていく火薬で表現したことが蔡氏のアーティストとしての原点にありますが、個人的には彼が、作品を創造するまでにインプットしてきたことが、どんな影響を彼自身に与えたのかということに興味を覚えました。
蔡氏は火薬の作品で名を馳せますが、様々なアート作品からインスピレーションを受けて、自分のものにしていきました。
たとえば、演劇を勉強することで今までになかった見せ方や表現の幅を広げたり、ブルガリアのアーティスト・クリストの「梱包されたポン・ヌフ」など、大きなものを梱包する一連の作品に衝撃を受けて、壮大なものをつくる意欲を掻き立てたりします。
このように他のアーティストの作品の表現方法、表現したい思想などを分析することで、新たな視点や見せ方の引き出しを増やす蔡氏の手法は、我々がアート作品を鑑賞する際にも、表現意図や見せ方を読み取ることで、新しい視点と方法に気づけることを語っています。
ただ影響を受けるだけでなく、蔡氏は自らの内面の鼓動を作品として昇華させていきました。先述の天安門事件から感じた「怒り」のように、自分の感じた違和感やあるべき形とはこうではないかということを、火薬を使ったアートをはじめとしたダイナミックな形で表現して、世界の人々を驚かせました。それは自分の感じたことに嘘をつくことなく、正直に体現したように見えます。
本書では自分の想いとの向き合い、それを多くの人々に伝わる方法で表現する蔡氏のやり方が緻密に描かれていて、自分の想いを創出する道筋を詳しく知ることができます。
主人公の姿にアート思考の精神を見た
主人公2人の活動記録から、私はアート思考に通じる考え方や行動方法を見出しました。自分の興味のあることに向き合い、諦めずに様々な方法を模索して実行する姿、または、我々がアート作品を鑑賞する際にどんなことを作品から自分のものにするかなど、アート思考の精神を垣間見ることができます。
そして、著者の川内有緒氏が、2人から生み出されたものを「美術作品」と捉えていることも見逃せません。著者自身が2人に宿るアート思考(=自分の想いを形にする)の美しさに気づき、興味を抱いたことで、「美術作品」が生み出される過程を、彼らの生き方・想いに寄り添い描いたように見受けられます。
川内氏は多くの資料を読み込み、多くの関係者に取材して執筆しています。登場人物それぞれの心の鼓動を明らかにすることで、その鼓動がどんな行動を起こし、そして、想いがどのように形になっていくのかのプロセスがわかります。自分の想いを表現することを、緻密に綴った描写は必見です。
2016年1月にシティ・ユニバーシティ・ロンドンを卒業。2016年4月から5年間リコージャパンでICTソリューションの営業に従事。2021年5月から共同通信デジタルに転職。ヨーロッパの芸術作品(絵画、小説、映画など)が好きで、アーティストの作品を創り出していく考え方に興味を持ち、アート思考研究会に参加。2020年4月に第2期ディスカヴァー編集教室の卒業生となる。