〈問い〉から始めるアート思考 

淡白な表紙に映る文字「アート思考」が目に留まり、反射的に書店で手に取りました。パラりとめくって目次にあった「アートは『問い』で未来を見せる」の一行にアンテナがピクリ。というのもIT企業でソリューションビジネスに従事する私は、「課題解決」より「課題発見」に興味あり。この「問い」こそが発見に至るすべての起点かもしれない、と脳裏にピカリとライトが点灯したのです。

いま、アートに触れる意味とは? 目に見えないものを見る力を養うには? アート思考を身に付けるには? 稀代のアートディレクターと考える、アイデア&イノベーションの育み方。(Amazonより)

目次

第一章 アートは未来を提示する
第二章 「現代アート」の終焉
第三章 「アート思考」とは意識の壁を壊すこと
第四章 都市は本当に必要か?
第五章 芸術祭とは何か
第六章 〈観る〉から始める
終 章 アート思考とは「問い」である

アート思考とは問う力

著者は「アート思考=問う力」と解釈しています。アートの役割は現代の社会に対して「問い」を投げかけることであると。「この既成の考え方は本当に正しいのか?」「今の時代ではこのような表現もあり得るのではないか?」「どうして私たちはこんな不自由を強いられるのか?」などの問いを、ときにはユーモラスに、ときには洗練された手法で、ときには突拍子もないやり方で、今までにない方法を用いて表現する。その「問う力」が画期的であるほどに、アートの価値が高まると著者は考えています。

たとえば、バンクシーの作品「風船と少女」は約1億5000万円で落札された直後に額縁の中に仕掛けられた機械が作動しシュレッダーで作品が裁断し始めたあの衝撃は世界中でニュースになりました。オークション会場で自ら作品を切り裂くことで、「アート作品に高値がつき売買されることで人間は何を手に入れられるのか?」という問いを社会に投げかけたのではないでしょうか。

作品が切り裂かれたにも関わらず、落札価格のままで買い取られた事実は、アートに新しい価値があると理解されたと考えられます。

アイデアの起点は「問い」と「発見」にある

アーティストが作品を制作したりパフォーマンスをしたりするときには何かのアイデアが必要です。その起点はおそらく「問い」と「発見」にあることが多いと著者は考えています。それが社会に問うべき内容であれば、アーティストは一番伝わるスタイルで作品を制作したりパフォーマンスをしたりします。

その「問い」に対して、鑑賞者によって感じ方や答えが違うので、いかに「独特かつ究極の問い」を創り出すか? そこがアーティストの腕の見せどころであり、表現方法に現れるはずです。

一方で鑑賞者の視点ではどうでしょうか? アート作品に向かい合うときに、「これはどんな問いが投げかけられているのか?」という視点を持つことで、作品をより深く覗き込み、理解できるようになるはずです。

つまり、鑑賞者がアーティストの問いを意識することで、鑑賞者自身も「問う力(アート思考)」を身につけられると本書は述べています。

問題解決より問題発見にアート思考を活かす

あとがきには、まさに本書を象徴するメッセージが書かれていますので、最後に紹介いたしま

著者はiPhoneを例にとり、このヒット商品は、問題解決目的で開発されたのではなく、「人が情報をパーソナルに身にまとい発信するようになったら世界はどうなるか?」と、近未来社会と私たちのライフスタイルへの「問い」から生まれたと仮定しました。

今、情報がビジネスシーンにおいて高度に結びつき、業務や事業が合理化され最適化されつつあります。しかし、今の社会は、結果や効率だけを単純に追い求め、解決ばかりを提供しようとしていないでしょうか? 

イノベーションを生み出すのは目的やゴールありきの「問題解決」からではなく「問い」からスタートするという考え方に私はとても共感しました。


やがてAIが人間の仕事の多くを担う時代が来るでしょう。しかしこの先ずっと変わらずに残る仕事は、「問いを見つけて今までになかったような表現方法でそれを提示し、人を考えさせる、前述のアートのような仕事」なのかもしれません。

私は以前、文部科学省 の「成長分野を支える情報技術人材の育成拠点の形成(enPiT)」プログラムの審査員をしていたことがあります。その時代から、「問題解決能力」よりも「問題発見能力」に注目してきましたことは冒頭に述べましたが、以下の疑問を投げかけたいと思います。

我々日本人は、先生や上司、もしくは顧客から、宿題や課題が降りてきて、それに対して及第点を貰える解決案を提示することは得意中の得意です。しかしこれからの時代、口を開けて宿題や課題が降りてくるのを待っているだけで良いのでしょうか?

世の中の違和感を感知するアンテナを張り、自ら問いかけ、自ら解を探し、発見する者こそが最後には勝つ、そんな時代が来るような気がしてなりません。

特に私が属しているIT業界のような、ソリューションを提供してお金を払っていただける世界ではなおさらです。

この「問題発見能力」の育成にこそ、上記のようなアート思考が有効なのではと私は考えており、著者の考え方にはとても親近感を覚えました。

なぜ問うのか?

アートとは「問い」であると定義する著者ですが、なぜ「問う」のでしょうか?

本書で著者は「不特定の鑑賞者に人間の感覚と頭の中の意識の壁を取り除かせたいから」(『〈問い〉から始めるアート思考』p. 82)と述べています。

人間というものは自分ひとりで既成概念を打ち破るのはなかなか難しいものです。

イノベーションを求めているが、日々の業務で頭が凝り固まってしまっているようなビジネスマンこそ、アートを鑑賞し、何を問われているのかを立ち止まって考えてみる。このような行為を繰り返すことで、固定概念という意識の壁を打ち破れるのではないでしょうか。

本書を読み終えて~個人的感想

まさにこの書評を執筆中の私の机の片隅に、1954年に初版が発行された岡本太郎の著作『今日の芸術』が置いてあります。生きることの根源のありようを「芸術」と呼んでいた岡本太郎。ページをめくると、偶然にも横尾忠則が、1999年再発版の序文にこのように記していました。

時代もすっかり変わり、感動よりも概念、つまり知的に認識されるようになった。若い芸術家はいつの間にか思想家や批評家風になり、作品は社会的現実に興味を持つコンセプチャルアート全盛の時代を形成してくる

岡本太郎『今日の芸術』p.4

なんという予見でありましょうか! 皮肉にも、現代アートには、かつての「より血沸き肉踊るような作風や作品」がなくなってきていると苦言を呈されているような気がします。

私の勝手な想像ですが、社会という外部要因を意識しすぎた問いを投げかける作風はやがて減少し、アーティスト自信の激情を鑑賞者へさらけ出し、直球で投げてくるような、作風がまた舞い戻ってくるのかもしれません。自ら生きることの根源のありようを「芸術」と呼んだ岡本太郎を、今一度思い出さずにはいられないのは私だけでしょうか?

話の方向が逸れてしまいましたが、著者は「おわりに」において「アート作品との長い付き合いで、感性を触発し、生きる歓びとなった」(『〈問い〉から始めるアート思考』p. 201)と記していました。

「アートとは問い」と力説した著者も生に対して、アートを重ね合わせており、岡本太郎と似通った発見があったのではないでしょうか。「問い」が社会的かつ本質的なものであればあるほど、人を驚かせたり感動させたり、新しい世界を発見させたりするものです。だとすればやがて「問い」は外部要因を意識したものではなく、複雑な世界を生き抜く人間のための「生」への応援歌となるのではないか?と私の空想は大きく膨らみました。両者が生きる時代は違えど、著者と岡本太郎には共通の思想があって、アートがライブ感あふれる生活の一部だったのではないか?と私は思いを巡らせ胸躍りました。

社会とは、人間とは? 時には自らも問うことを繰り返し、感性を高めながら生きていきたいと前向きな気持ちにしてくれた良書でした。

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