東京藝大美術学部 究極の思考

私は、会社勤めと並行して中小企業診断士としても活動しています。経営コンサルタントの国家資格、との位置付けと言えばいいでしょうか。

診断士の人たちと一緒に仕事をしていると、論理的であることが重視されます。3C分析(「顧客(Customer)、競合(Competitor)、自社(Company)」の3つの視点からマーケティング環境分析を行うフレームワーク)などの枠組みを活用して考えをまとめていく機会が多くなります。

むろん、ロジカルであることは大事だと思います。しかし、そこに注力していくのは、最適解を目指した行為で、それを突き詰めるとみんな同じ答えにたどり着いてしまうような気がしてならなくなりました。それでは差別化を図れません。

ですから、もっと個人の想いとか感情から発せられるものがビジネスに活かされるべきではないか。主観こそが差別化の源泉ではないのか。そんな想いがアート思考を学ぶきっかけになっています。

そして、東京藝大卒の方が、ビジネス界でも活躍されているのを知っていたこともあり、卒業生の方がどんな学びをしてきて、どんな思考をしているのか興味を持って、本書を手にしました。

もはや「ロジックの積み重ね」だけでは社会が行き詰まり、将来も不安で、モノが売れず、人も育たない……。
そんな答えのない時代に最重要な「問う力」を育むヒントとして、東京藝術大学の美術学部を取り上げたのが本書です。(amazonより)

<目次>
序章  偏差値教育を「越境」した人たちが集まる唯一無二の大学
第1章 究極の思考力入試 ——問われるのは、「自分」とは何か?
第2章 何を教わり、何を学ぶのか ——ひたすら考え、カタチにしていく4年間
第3章 「学び」と「気づき」をビジネスに活かす卒業生たち
第4章 これからは「アートフルな人材」が日本を引っ張っていく

「自分」とは何か? を深堀していく

アート思考研究会では、アート思考のプロセスを次の図のように考えています。

図1 アート思考のプロセス

まず、自分の感情を深堀する、自分とは何かと内省するところからアート思考のプロセスは始まります。東京藝大生は受験を通してその経験していることが第2章を読むとわかります。

東京藝大美術学部入試の出題には「傾向」がありません。本書の中に具体例が載っていますが、たとえば、平成30年度の実技試験(素描)ではこんな出題がされました。

「空中」「地上」「水中」の三つの言葉から一つ選び、与えられた二つのモチーフ(石・ゴムシート)と組み合わせて描きなさい。

出題の意図を読み解くことも難しく、一般的な入試にありがちな「傾向を調べ、対策を練る」が通用しないのです。

問われているのは、思考力・観察力・表現力であり、物事に対する自分なりの価値観です。ですから受験生は、小手先の対策は意味をなさず、こうした力を鍛え、自分なりの価値観を深めていくこと自体が試験対策になります。これはまさに、アート思考のプロセスの第1ステップ「源」にあたります。

カタチにして表現する

東京藝大美術学部では、卒業単位の中に占める実技科目の割合が7割を超えるそうです。つまり学生生活のほとんどを制作に費やしているのです。

一つの作品に4年間費やすわけではありませんから、多くの作品を制作していきます。その中で、表現方法を考え、作ってみて、完成させて、そこで得たものを持って次の作品に向かっていく。そうした表現を繰り返していきます。

さらにその表現は、「自己の表現」を追求していくことを求められます。受験生時代、自分の感情や価値観を深掘りしていたとしても、入学試験であるとの制約上、無意識のうちにうまく書こうとしていた部分はあるのだと思います。まして、他の美大を併願していた場合には、「入試を突破する」「合格する」ために、上手く描こうとしていた部分はあるでしょう。その無意識から脱却して、自己表現を追求する学生生活を送ることになります。

これが、前述のアート思考のプロセスの図の第2ステップ「行為」にあたると思います。

作品として成就させる

藝大美術学部生は、卒業後、さまざまな進路を選択されています。アーティストとして生活していく人も多いですが、それだけではありません。ビジネスの世界に進む人もまた多いとのことです。

本書では、ビジネスパーソンの転身した人3名の話が載っています。IT企業の経営者、起業家兼ビジネススクールの講師、生命保険会社のトップセールスマン。それぞれアーティストとは違う道を進んでいますが、共通して言えるのは、藝大美術学部で学んだことをビジネスに活かしている点です。

特に生命保険会社のトップセールスマンの場合、一見するとアートとはなんの関係もないように思えます。しかしご本人は「彫刻のノミが保険証書に変わっただけ」(『東京藝大美術部 究極の思考』 p. 218)と言い切られています。

アーティストとして作品の純度を上げていくのは当然のことで、それと同じように自分の仕事の純度を上げていくことが重要になり、それは何をやっても同じだということです。

結局、「自分の仕事」という作品を完成させ、成就させていく中で、東京藝大で学んだことを最大限に活かしているのだと感じます。アート思考のプロセスの第3ステップ「成就」にあたるのでしょう。

私はアート思考を「アーティストがアート作品を生み出す過程で使われる感情や論理をヒントにして、アート作品以外のものを生み出すための手がかりとする思考法」だと考えています。「アート作品を生み出す過程で使われる」ものをヒントにするのです。しかし、一流のアーティストの作品を見ただけでは、どんな過程を経てきているのか、私のように特別アートに親しんでこなかった人間にとって、理解するのは難しいものです。本書では、東京藝大生が受験生から学部生、そして卒業して社会に出てからというそれぞれのステップで何を学び、どのように考え、生み出していくかが示されています。アート思考のプロセスを、一作品の制作過程ではなく、人間の成長過程という長いスパンの中で示してくれている点が、とてもわかりやすいと思います。

本書を読むことで、アート思考のプロセスが、具体性を持って理解できるのではないかと感じました。

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