第10回 ヒッピーカルチャー(1)

自分が生まれた頃の社会や文化を知ることは、自分の生きて来た背景を知ることでもある。
その時の社会情勢や価値基準が成長と無関係であることはない。
自分が自然と判断してしまっている基準がどのような影響で構成されているのかを分析することは、自分の様々なバイアス(偏見)に気づくことでもあり、未来に向けての判断基準を再構成するためには必要なことである。
アート思考において、自分自身に対しての分析と、メタ的な見地からの自己内省はとても重要だと思っている。
そういう意味において、1967年生まれの私にとって、1970年前後の社会的な価値基準の一つだったヒッピーカルチャーは、自分の中でも関心度が高く、様々な判断基準に対し、直接的、間接的に影響が与えられていると自己分析している。

特に自己探求のために生まれた頃の文化を知りたいと思った訳ではないが、数ある音楽ジャンルの中でも、自分にとって心地の良い音楽は「Rock」であり、それも1970年前後に作られた洋楽ばかりだ。
この頃の曲に私の感覚は自然に共鳴していく。

きっかけは中学生の時に、同級生から訳のわからないバンドの名前をいくつも教えられ、この人たちの曲を聴いた方がよいと、半ば強制的に聴かされたことだった。
そこには“The Doors″“The Kinks″“The Rolling Stones″“The Beatles″“Black Sabbath″“Led Zeppelin″など、今では古典であるが、テレビから流れてくる昭和歌謡の曲調とはあきらかに異なる刺激的で、なにか自分の気持ちが弾んでくるような斬新な感覚を感じた曲とバンドが勢揃いしていた。

この洋楽のバンドたちを紹介してくれた同級生の家庭は、自営業で店舗を経営していたので、同級生の両親はいつも彼の自宅にいた。
彼の父親は、細身で髪が長くいつもジーンズを履いていた記憶がある。
たまにティアドロップ型のサングラスをかけていた。
当時の私が知っているかぎりの父親像からはほど遠いスタイルの彼の父親は、同級生の友人の音楽の先生であったようだ。
中学生の経済力では到底購入することができない数のレコードとカセットテープがあったと言うことは、その所有者は彼の父親であったことは間違いない。
私自身も、この異形の父親から伝播された音楽にしだいに惹かれるようになっていった。
私が中学生になった頃の1980年には、ヒッピーカルチャーは一掃され、テクノカルチャーが台頭してきて、日本の社会は経済的な成功を体感しはじめることにより、価値基準が経済的なものに遷移していく。
物が意味を持ち始め、その物がもつ意味の暗黙知が、所有する人を表す記号の様になっていく。(ブランドカルチャーのはじまり)
そんな中にもヒッピーカルチャーの残滓は、ところどころに残っていて、私の記憶の中に収納されている。

もうひとつ、唯一当時の私に衝撃を与えた邦楽のミュージシャンは、「RC Succesion」である。
ボーカル「忌野 清志郎」の唄い方は衝撃的であった。
彼の歌声も詩の内容も、当時の社会にはけっして受け入れられるものではなかったが、中学生の時の自分にとっては、ほかの誰とも一線を画すベンチマーク的な存在になった。

このジャンルの音楽を辿っていくと、1970年が最盛期となるヒッピーカルチャーにぶつかることとなる。
私の生まれた1967年を起点に、アメリカ、イギリスを中心だったこのヒッピーカルチャーが世界に広がっていく。

20世紀後半の社会において、ヒッピーカルチャーが掲げていたスローガンである「ラブ&ピース」「戦争反対」「差別廃止」など夢のような理想は敗北し、ヒッピーカルチャー自体は自分たちの理想を捨て、経済社会と政治権力の中に飲み込まれていったと認識されていた。
しかし、21世紀に社会的なイノベーションを起こしているいくつかの事業の背景には、このヒッピーカルチャーの思想があると言われているのは周知のことであり、この思想が形を変えて現在の世にも台頭して来ている。
そういう意味では、このヒッピーカルチャーを再度掘り下げ、現在の社会にどのような影響を与えているかを再考することは価値があるように思う。

ヒッピーカルチャーは世界的なムーブメントにまで広がっていったが、その起点となるのが、LSDである。
LSDとは、ドイツ語で「Lysergsäurediethylamid」の略である。
英語では俗に「ACID」と呼ばれている。

LSDの開発秘話は、様々な文献になっており、Webでも相当な量の情報があるので参照していただきたい。

https://wired.jp/2017/05/29/lsd-high-consciousness/

このLSDを服用過程を克明に示した著作が、オルダス・ハクスリーの「近くの扉」である。
原題は「The Doors of Perception」
LSDの服用中に絵画鑑賞をした時に感じたことが書かれている。
彼によると、ゴッホの絵はあまり褒められてはいない。
表現は面白いが、その中身は事実自体の表象でいかないということだ。
前述のThe Doorsのバンド名は、ジム・モリソンが「知覚の扉」の一節からの引用というのは有名な話だ。

そして、この薬物を世の中を平和にするために使えるのではないかと真剣に研究をしたのが、ハーバード大学の教授の「ティモシー・リアリー」である。
彼がどこまで本気で、このLSDで世界平和を体現しようと思っていたかは想像するしかないが、彼の行動を考察する限り、かなり本気だったように思えることが多い。
当時もLSDの精製は違法であり、何度も逮捕され、マスコミからのバッシングも相当なものであったらしいが、批判を受ければ受けるほど、若者たちからの支持は上昇していくという結果になった。

オルダス・ハクスリーは有名な科学者一家の子息であり、血統書付きのインテリジャンスな人物である。
ティモリー・リアリーは、奇行も多かったが、ハーバード大学の教授となる。
この知能の高い二人がヒッピーカルチャーの一部であるドラッグムーブメントのきっかけとなっていることは興味深い。

それまで宗教体験でしか得ることのなかった神秘体験に近いものが手軽に出来るようになったことで、自分の内面に触れることが安易にできる様になった。そこから得られるインスピレーションは、原始的あり、人の本能に刺激を与えるものであるようだ。
こうして作られた曲たちが、前述したバンドが作り出し、今も廃れることのない地位を獲得している。

ヒッピームーブメントが世界的に広まっていった経路を辿ることも面白いのだが、それはマーケティング的な発想に近い。
アート思考と親和性があるのは、個人の中でどの様な変化が起きて、創造性が高まり表現に結びつけるかということである。
このコラムには書ききれないが、ヒッピーカルチャーを丁寧に観察し、現代の社会にひっそりと影響している事象を追うことで、アート思考とイノベーションの関係が理解できるヒントになるかも知れないと思う。

注:今回、LSDのことを書いていますが、このドラッグを推奨するものではなく、またこのムーブメントを推奨する意味はまったくありません。

※この記事は代表幹事の浅井由剛が執筆したNOTEの記事を転載したものです。
NOTEの記事はこちら

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