第5回 自己意識とアート

「コギト・エルゴ・スム」と中学生の時に覚えた、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉から、人類に“私”という認識が出てきたという。
デカルトが叙述した「方法序説」が出版されたのが1637年。
フランス革命、アメリカの独立に影響を与えたという、ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論の概念から、人間は一人ひとり自由意志と言うものがあり、人権があり、決して権力者が所有するものではないと言う考え方が作られた。その「社会契約論」の出版が1762年。
およそ100年ほどの時間が経っている。
そして、ルソーの社会契約論から約100年後、
フリードリヒ・ニーチェが1883年に出版した、「ツァラトゥストラはかく語りき」で述べた「神は死んだ」というセリフで人間は(というか、キリスト教圏の人々は)神の束縛から独立し、宗教と人が分離した。
その後、20世紀になり、ジークムント・フロイトが精神分析で、「超自我」という「無意識」の存在を明らかにしたことで、西洋史のコンテクスト上に自己意識と言うものが表出されてくる。
ここに近代(Modern)という、個人主義、合理主義、資本主義の時代が始まった。

近代は始まっていたが、それが市民の生活に浸透するまでは、さらに時間がかかる。
この西洋史の自己意識形成と呼応するように、19世紀からはじまった「アートムーブメント」で視覚芸術の表現方法が一気に多様になる。
それまでの様式的な資格表現からの脱却を模索していたアーティストたちが、時代の流れの中で、思想哲学的な潮流をキャッチし、自己の表現方法の確立の中で、様々な試験的な作品を発表していく。
この近代アートムーブメントの前にあたる近世の最後の表現が「写実主義」になる。
現代で言えばジャーナリズムに近いと思える「写実主義」は、高い技術力と観察眼により、人々の自然な生活を描くことで、庶民の日常の悲哀や歓喜を表現したり、理想とは言えない現実を見せつけた。
この自分の外界を自分の内界のフィルターを通して表現していたのが、この近世の絵画の傾向だ。
ここから美術史は、一気に内界の表現衝動や日常生活では感知できない無意識の世界を、非常に神経が敏感なアーティストが題材として取り上げることになる。
アート=内面の表現、自己表現という認識が生まれてきたのは、アートだけではなく、この時期の思想・哲学・そして産業革命という生活様式(ライフスタイル)の変化が融合した結果だと思っている。
この近代(Modern)アートは一説によると、現代アートのはじまりと言われる1970年代以降もまだ続いていると言われている。
現在、アートと言う言葉は、この近代(Modern)アートと、前衛芸術(アバンギャルド)から発生したコンセプチャルなアートが混在していると言える。

ということで、アートが自己表現のひとつのスタイルとなってから100年ほど経っている。
しかし、それ以前のアートはそれぞれのアーティストがどのようなモチベーションで作品を作っていたのだろうか。
ここは想像するしかないが、例えばルネッサンスの頃、ミケンランジェロはの制作のモチベーションやプロセスはどうだったのだろうか。
システィーナ礼拝堂天井画は、ミケランジェロ・ブオナローティが33歳の時に当時のローマ教皇ユリウス2世からの依頼により描かれたものである。
一度は依頼を断ったミケランジェロだが、再三の依頼に断りきれずに引き受けたという逸話が残っている。
そして、ユリウス2世は天井にキリストの十二使徒を描かせようとしたが、ミケランジェロは300人以上が登場するキリスト教の一大ストーリーをそこに展開し、4年をかけて制作したという。

ここで、ミケランジェロの心境を勝手に想像しながら、この経緯をなぞっていくと、まるでクライアントという企業経営者から、企業のイメージアップをはかるための制作物を依頼されたデザイナーとの関係とまったく同じだと笑ってしまう。
あのミケランジェロでさえ、ユリウス2世からのオファーを素直に受け取れず、どうにか、この嫌なクライアントから逃げ回ろうとローマから逃走する。
確かに、報酬は嬉しい額だが、どうしても性に合わないクライアントは存在する。嫌な人ではないのだが、価値観や考え方が違いすぎる場合もある。
そんなミケランジェロも姿をくらましてしたが、最終的には断れなくなり、仕方なく契約をする。
しかし、やるからには最高のものを作らない訳にはいかない。
そして、やるからには、クライアントが持っているイメージをもぶち壊し、客観的な視点と、目的を達成させるための方法を探す。
クライアントがイメージしているものは、内部からの目線であり、エゴと虚栄心があり目的を遂行することができない場合がある。
それをどう説得したがわからないが、クライアントからのオファーの十二使徒から創世記の大叙事詩の制作に変えた。
制作開始当時でユリウス2世は65歳。ミケランジェロは33歳なので、年齢が半分にもいかないミケンランジェロのクライアントへの説得術が非常に気になる。
ここでミケランジェロが描いているので、決して自己表現の作品ではない。
自分を超えたところにある、キリスト教という支配的な教義を見る者すべてに言葉を介さずに最短時間で理解させるために、自分が持っている知識と感性と技術を最大限に活かし、真っ白な漆喰の天井を機能させることであったと思う。
ある意味、クライアントのブランディングを、クラアントの想像を超える部分で達成したデザイナーの在り方と同じである。
そして、キリスト教への皮肉をわからない様に入れ込んだのは天才のなせる技だと思う。
デザイナーの立場からすると、理想的な仕事の仕方だが、現代のこの世の中で、現実的なミケランジェロの様な仕事の仕方は難しい。

近代(Modern)以降のアートとデザインを比べると、そこには差異が生じ、プロセスや目的が異なるため、まったく別のものだと分けて考える傾向があるが、もっと大きく高い視座から見た場合、その区別はくっきりとした境界線は見えづらくなる。
アーティストもデザインを学び、デザイナーもアートを学び、さらに、アート、デザインは一般の生活には関係ないと拒否する風潮も変えていきたいと思うところだ。

※この記事は代表幹事の浅井由剛が執筆したNOTEの記事を転載したものです。
NOTEの記事はこちら

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