アートもデザインも、究極のマジックワードだ。
どんなことでも、アートをつければ褒め言葉になるし、デザインをつければ知的に見える。
ネイルアート、アートフェスタ、ライフデザインやデザイン経営などアートやデザインを語尾語頭につけることで、意味不明だが、それなりに立派な言葉になる。まさにマジックワードである。
その言葉を使っている本人も、意味を理解して使っている訳ではないだろう。アートやデザインの意味はなんなのかと聞かれても、ひと言で答えることは不可能である。
ソクラテスの昔から、アートについては知の偉人たちが散々と議論して来ていることである。
それでもアートについて、ひと言で言える説明が出来ないと言うことは、科学や思想と同じように、正解がある訳ではなく、真理の探求のスタイルの選択肢の一つとしてアートがあると言うことになる。
科学者や思想家と並び、真理を追求する者としてアーティストが存在すると言うことになるが、残念ながら日本にいると、アーティストがその様な存在だと感じる機会は少ない。
私は海外留学の経験はないが、20代の時に3年ほど世界を放浪していた時期がある。いわゆるバックパッカーだった。
バックパッカーをしていると、世界中の同じ年代の若者たちと語り合う機会が数多くあった。そこで出会う若者たちは、あまり常識のない者(いわゆるアウトサイダー)から、世界に名が通っているハーバードなどの学生や卒業生まで、社会の様々な国籍や社会階層の若者と話をする機会を持つことできた。
そこで経験したことの一つは、議論好きの若者が多かったと言うことだ。
みなで酒を飲みながら騒いでいても、人間はいったい何者であり、何をするために存在し、何をするべきなのかと言う答えのない話を大真面目に議論する。これが日常的におこなわれていた。
旅と言う日常から離れている環境だからこそ、この様な話をするのかも知れないが、答えのない議論の先を楽しんでいる様に思えるのである。
知的好奇心を持つ若者は、ポール・ゴーギャンの作品タイトル「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の様なことを真面目に議論することに慣れていると思った方がよい様だ。
彼らの大学での専攻は決して「アート」ではない。経済学や物理学など様々だった。ストックマーケットに職が決まっている者もいた。彼らは自分のプロフェッショナルな部分とは別に、真理を探求すると言う「哲学」がいつも隣にあったと言える。
決して全員が哲学を探求している訳ではない。しかし、その事に関心を持つ若者が多かったのも事実である。
この答えのない問いと同居する状態になりはじめているのが、2020年の日本ではないかと思う。
アート自体は表現なので、自分の中から外に向かい放出する作業である。
放出するものの質を上げるには、哲学がまず必要なのだろう。
しかし、ここで問題になるのは、日本人とアートとの関わり方だ。
アートの語源をたどると、ラテン語の ars (アルス)と様々な文献や記事に書かれている。
「人工的な」という意味で使われていたらしく、「自然」との対義語であったと言う。現在のアートと言う概念とは異なる概念である。
現在の「アート」は、世界共通で、絵画や演劇、オペラ、音楽、などを総称する言葉として使っていることは間違いない。
その「アート」に日本語の対訳を作ったのが、幕末の官僚であり、哲学者であり、教育者の西周(にし あまね)だ。
西周は、私の生まれ故郷である、静岡県沼津市にも所縁のある人物だ。
徳川慶喜が沼津にフランス式の軍隊を作るための教育機関として、1868年に開設されたのが、沼津兵学校だ。
西が初代の校長として招聘され、近代式の教育を徳川の幕臣の若者たちにおこなったそうである。(日本の近代的小学校発祥の地という碑がひっそりと立っている)
その西が、住んでいた辺りに作られた、JR東海の東海道線を横断するためのアンダーパスが「あまねガード」として今も名前が残っている。
西周が「アート」の対訳として作った言葉が「芸術」である。今からおおよそ150年前のことだ。ここで、日本語の中に芸術と言う単語が作られた。
西はこの他、「哲学」「科学」「心理学」などの言葉も作っている。
「芸術」もそうなのだが、富国強兵を目指し、西洋の様々な思想や制度を輸入し、日本の文化や土壌に合わせて改良し、生活や教育の中に定着させていこうとしたのがこの時期である。
日本は、明治維新以降、加工貿易で支えられて来た国である。
原材料を輸入し、まったく別のものに加工するのが得意な国だ。
そうして作った工業製品の価値も、他国、とりわけ欧米に認められることで
自分たちの存在感を維持して来た。
それは工業だけでなく、文化、思想、社会システムも輸入し、それを加工して自分たちのものとしている。
いくら日本風に加工されているとは言え、輸入品の一部はまだ生活に浸透していない様である。
「芸術」にしても、日本独自の加工方法により、現在の生活の中に浸透しているが、輸入先の「アート」が意味するものと、日本が独自加工した「芸術」では、少し意味するものが異なると気づきはじめたのが、ここ最近のトレンドであると思う。
※この記事は代表幹事の浅井由剛が執筆したNOTEの記事を転載したものです。
NOTEの記事はこちら
静岡県沼津市生まれ
武蔵美術大学 空間演出デザイン卒業
大学卒業後、3年間、世界各地で働きながらバックパッカー生活を送る。
放浪中に、多様な価値観に触れ、本格的にデザインの世界に入るきっかけとなる。
2008年株式会社カラーコード設立。
デザイン制作をするかたわら、ふつうの人のためのデザイン講座、企業研修の講師を務める。
現在は、京都芸術大学准教授として教鞭ととりつつ、アート思考を活かしたデザインコンサルティングをおこなう。