『アート思考』からアート思考と向き合う旅へ

著者 撮影

みなさん、はじめまして。


アート思考研究会で、書評を書いている小野寺香織です。

秋元雄史さんの著書『アート思考〜芸術とビジネスで幸せを高める方法〜』を読んでから、何かに引き寄せられるように、私の世界が「アート思考」に向けて動き始めました。

筆者がアート思考研究会で書いた『アート思考~ビジネスと芸術で人々の幸福を高める方法~』の書評


私が、現在、アート思考研究会に所属し、書評を書いていることも、秋元さんにインタビューする機会をいただき、それを記事にすることも、このブログを皆さんに向けて書かせていただくことも、昨年の11月頃、書店で本書を手にした時には、想像もしていませんでした。

筆者が行った秋元さんへのインタビュー

今回は、私がアート思考に興味をもったきっかけ、そして、今、どうアート思考と向き合っているのかを綴りたいと思います。

はじまりは、ジャケ買い

いつも行く書店の中を、当時まだ6ヵ月の息子を抱っこ紐に入れて、歩いていた時に、真紅の表紙に漆黒の文字で「アート思考」と書かれた書籍で埋め尽くされた一角に出会いました。

そして、その強烈な色彩に惹かれます。

アート思考の旅路の始まりは、いわゆるジャケ買いだったのです。

もともと、アートには興味があり、美術館にも、子供と一緒によく足を運んでいたので、書店で概要を読み、はじめて「アート思考? アートとビジネスの関係性? ビジネスパーソンの「教養」としてのアートとは違うのかしら?」、そう興味を惹かれ、本書を手に取りました。

「わからない」から直島へ

はじめて本書を読み終えた直後の感想は「どうしよう。内容がすぐに理解できない!!」でした。

最近、手にする本は、速読が苦手な私ですら数時間もあれば読めてしまうものばかり。

今までであれば「よくわからないや」と勝手に整理して、そのまま通り過ぎてしまったかもしれない私を、本書の一文が引き止めます。

『アート思考』の本質とは、この「わからない」ものに対して、自分なりに粘り強く考え続ける態度のことを指しているのです

『アート思考』p.81


私は「理解できること」「わかりやすいこと」ばかりを追い求め、「わからないこと」を悪者のように思っているのかもしれないと考え始めます。

そして、過去、現代アーティストの作品に対し、「わからない」の一言で片付けてしまった体験がふと思い起こされ、自分がいかに「わからないこと」と向き合っていないのか、気づかされました。

そして、何よりも、今まで「美術鑑賞」をしていた「つもり」でしたが、特に、現代アートの分野で、アーティストがどういった思考法で、時に強烈で、斬新なコンセプト作り出し、作品として表現しているのかを考えながら、「わからない」の先を考えていなかったことにも気づきました。

「秋元さんが立役者のひとりとなり、作り上げた現代アートの聖地「直島」に行ってみよう」

「トップアーティストが「アート思考」により生み出した作品と向き合えば、私は「アート思考」をもう少し理解できるかもしれない」

「秋元さんが本書に書かれている内容がもっとわかるようになるかもしれない」

決めたら、即行動な私は、すぐに「冬休みは直島に行くから飛行機予約しておくね」と夫にメッセージを送っていました。

子どもたちを連れて家族で直島へ 筆者撮影
直島入口 筆者家族撮影

笑い話ですが、当時を振り返り夫曰く「何やら真っ赤な本を読んでから、急に私が「アート思考」と言い始め、現代アートにも目覚めて驚いた」とのことです。

「感動」とは何かを知る

私が直島の旅で得たものを一言で語るならば、それは「感動の原体験」以外にありません。

地中美術館にて、冬期のみ開催されている「開館前ツアー」に参加したことで、あの贅沢なアート空間に、私と家族と作品しかない、そんな「場」の静寂や神聖な空気感が、私たちの「感動」を一層際立たせたのだとも思います。

秋元さんの『直島誕生』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読んでから旅したのもあり、どういう想いやご苦労のうえで、この直島が作られているのかを知っていたので、なおさら感動が高まったとも言えるかもしれません。

みなさんは「感動」に、どんなイメージを持たれていますか?

世間には「感動」という文字が溢れています。

私も簡単に「感動」という言葉を使っていました。

映画の広告にも、全米が感動した!とか、ありますよね。

直島での経験を通して、私は「感動」は「身体感覚」なのだと考えるようになりました。

その瞬間、頭は経由せず、ただ、心がぶわっと高まる感じ、身体の奥が震える感じとでも言うのでしょうか。

地中美術館では、アート作品を鑑賞しながら、まるで、大自然と向き合ったような感動、むしろ畏怖のようなものを感じたのです。

地中美術館 著者家族撮影

トップアーティストの作品を堪能した一方、島民の生活とアートが融合している不思議な、ほんわかと温かい「感動」もありました。

先ほどの畏怖とは違います。日常生活に、非日常に近い存在であったアートが混ざり合い、区別がつかなくなる感じ。

この経験から私は、人が生きること、それ自体が本来、アートなのだと考えました。

このふたつの感動は、それぞれ異なる身体感覚でしたが、どちらも、感動の瞬間は「頭で論理的に考えていない」ということが共通していました。

先日の秋元さんへのインタビューでは、今、直島が現代アートの聖地であることは、結果でしかなく、島にアートがあることが島民にも充足感がある状態となるよう島民と一緒に作り上げた過程が重要であった、との話も伺いました。

もし、アート推進側の視点のみで、一方的に計画が進められ、直島アートサイトが作られていたら、今の直島はないのかもしれません。

アート思考と向き合う

私が「アート思考」と出会ってからまもなく1年になります。

いまだ、アート思考の本質は何か、アート思考を自分の生活にどう落とし込めるのか手探りの状態であり、長い旅路は始まったばかりです。

この1年でひとつ変化したことは、直島で感じた、ふたつの感動の原体験とその感動が生み出された過程を大切していることです。

ひとつ目の感動は、アーティストたちが極限まで彼らの世界観を研ぎ澄まし、かつ、その世界観が私にもわかる形で表現されていたから生じたものです。

誰かの心を動かす第一歩は、この強い「コンセプト」や確固たる「世界観」であるとの気づきもありました。

ふたつ目の感動は、日常生活の中にアートが違和感なく融合し、人が生きていることそのものが芸術のように見えた体験から生まれたものです。

強いコンセプトが、異論や対話を経て受け入れられ、それが生活に落とし込まれていくとアートが日常となり、ゆくゆくは新しい文化が生まれるのかもしれません。

アートも、長く、そして多くの人に愛されるビジネスも、究極的には、その作品やサービスのもつ「世界観」や「コンセプト」が、人々の「感動」や「幸せ」をもたらすものだと思います。

だから、私もアーティストのように生きてみたい。そのためにも、トップアーティストの生き方やアート思考への理解をさらに深め、自分の人生と自分の身の回りにいる人たちの人生を少しでも彩りのある、幸せなものにできればと考え、今も、日々、アート思考と向きあっています。

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