ブルーピリオド

「アートが大事だ」という言葉をよく見聞きするようになった21世紀の現代になっても、芸術大学や美術大学、音学大学など芸術家を目指す大学への進学は、普通の生き方からドロップアウトした変わり者というイメージがまだまだ強いように感じます。

実際、アーティストとして成功する人は、ほんのひと握りの強運な変わり者の中の変わり者のような人です。

また、一度成功したとしても、つねに話題の作品を創り続けることは、本当に難しいことです。

創作とは、全身全霊を使って作品を作り上げることです。

人を感動させる作品を創ることは、効率が悪く、対価が低く相当に厳しいです。

こんなことは、かなり変わっている人でないとできません。

そんな変わった人しか触れることがなかったアートが、現在は、ビジネスや教育の世界からとても注目されています。

作品を創るとはどのような工程なのか。

そして、アーティストたちは、どんなことを思い、何を考えて、創作をするのか。

今までブラックボックスだった創造プロセスに大きな関心が寄せられています。

そんな、ブラックボックスの思考をダイレクトに伝えてくれるのが、この「ブルーピリオド」です。

普通の男の子が芸術家として目覚めていく姿を、著者の経験をもとにリアルに描き出しています。

タイトルの「ブルーピリオド」とは、ちょうどピカソが20歳前後の頃の陰鬱とした時に描かれた青を基調にした作品を創作していた時を「青の時代」と言うことから、つけられたタイトルということです。

著者の山口つばささんのプロフィールはほとんど公開されていませんが、彼女自身も東京藝術大学出身です。

成績優秀、人付き合いが上手く、イケメンだが、少々素行が悪い主人公「矢口八虎(やぐちやとら)」は、自分の進路を決めかねていたが、ひょんなことから絵を描くことに喜びを感じる経験をした。(Amazon.co.jpより)『月刊アフタヌーン』(講談社)にて、2017年8月号から連載中。2020年7月現在で、7巻まで発刊。
リアルな美術予備校の描写

少なくとも芸大、美大を目指したことがある人は、感情移入なしでは読めない作品です。

造形教育を受ける主人公、矢口八虎の成長と、自分自身の成長体験と重ね合わせることがこんなにピッタリとはまる漫画なんて他にはないと思えるほど、美術予備校と受験の様子が詳細に描かれています。

臨場感ある描き方の著者の画力とストーリー構成力の高さに敬服です。

芸大、美大受験経験者たちは、自分たちがどのような勉強をしてきたのかを説明することもなく、それがどのような価値を持つのかを考えたこともなく、ひたすら受かるために絵を描き続けてきました。

しかし、このひたすら描き続けることこそ、アーティスト(この漫画内では画家)としての素地を作る自分自身を見つめることにつながります。

デッサンは創作のはじまり

画力の基礎を作るデッサンは、目の前にあるモチーフを紙に映し出す技術を鍛えることが第一なのですが、よいデッサンというのはそれだけではありません。

その中にも描き手の自分らしさというものが表現されていなければ、見る側に感動を与えることはできないのです。

同じ対象物(モチーフ)であっても、その人のものの見方、感じ方、表現の仕方で、様々な違いが出てきます。

つまりデッサンであっても、オリジナリティがないと見た人がよい絵だと感じてくれないのです。

デッサンは、アーティストとしての作品とは違うと言われますが、絵としての基礎でしかない受験のためのデッサンでさえ、オリジナリティがないと完成しないのです。

鉛筆を扱う手の癖や、その鉛筆を消すための消しゴムの使い方の癖だけでなく、自分自身を構成している知識や経験、人との関係性、社会的立場、自信の持ち方、そもそも何のために絵を描いているのか、そして、一体自分は何者なのかという自分自身への問いが、そのオリジナリティを作りだしていきます。

アートの覚醒

芸大、美大の受験は、正解を選択する教育とは異なり、最終的に、自分は何者であるかという問いに対しての自分なりの回答を表現することになります。

それは、まだまだプロのアーティストの足元にも及ばないものですが、その自分を見つめるプロセスを体験することが重要なのです。

「ブルーピリオド」第6巻の中で、主人公は東京藝術大学 油絵科の2次試験でそのことに気づいていきます。

「ありのままの自分じゃ受かる気がしない」
「だからこそ戦略を考える」
「だからこそテーマをわかりやすく演出する」
「この土壇場で…」
「いや 土壇場だからこそわかった」
「ありのままの俺って」
「ほんと笑えるほど自信がないな…」

受験の最中にアーティストとして覚醒していきます。

そして、2次試験の3日目、最終日にさらに覚醒していきます。

「そっか 自信はないけど」
「同時にとっても傲慢だった」
「戦略的にやれば上手くやれるって思っている」
「でも絵を描く前はそんなことすら気づけなかった」
「“情けない裸”(注)ですらなかったんだ」
「絵を描くまで 俺 ずっと「透明」だった」

受験のための絵を描いている最中でも、ひたすら自分と対峙し、自分の中で絵を描くことの意味を見つけていくのです。

まさに内省力の強化がアーティストとしての力に直結していきます。

注:友人の鮎川龍二と自分の裸体をスケッチする場面で、主人公が自分の裸を見た感想

まさにこのプロセスがアート思考を体現するものだと思います。

自分の外側の正解を知ること、正解を答えることに力を注ぐことも必要ですが、自分の内側がどうなっているかを知ること、そしてそれを顕在化し、言語化することがとても重要だと考えています。

この作業の重要さは、アーティストだけではなく、どのような人や仕事であっても同様です。

アートの基本「内省力」を活かす

これからの未来を作ることは、企業も行政も教育も福祉、どんな分野でも必要です。

その未来をつくるために、様々な情報を集め正解を探すことと思いますが、その前に一度、自分自身の価値観をもとに未来を表現してみることをオススメします。

その自分自身の表現した未来がそのまま企画書になることはありませんが、自分がどのような価値観で人生を送っているか、それを言語化し、認識することで、一般常識や、社会通念とのギャップが明確になります。

このギャップをそのままにしておくのはもったいないです。

このギャップこそ、イノベーションの芽になる可能性があるのです。

自分自身の内側がどんなもので構成されているかを知るためには、例えば、こんなことをするのがよいです。

  1. ウィッシュリストの作成:自分がやりたいことを100個書き出してみる。
  2. ジャーナリングをする:自分が感じていたり、説明できなかったりするフィーリングを無理やりでも言葉にしてみる。
  3. 感情リストなどを使い、自分の感情の種類を確認してみる

また、自分の内側から出したものを自分の外側の人に対して表現して、そのフィードバックで自分の内側について知ることができます。

この繰り返しをすることで、自分自身のオリジナリティを顕在化させていくことができます。

ぜひ、この書評読んでいただいた方たちには、自分なりの表現を見つけていただき、内省する力をさらに強いものにしていただければと思います。

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