今、必要なのは、自分の人生を組み立てるためのものさし

深紅の表紙に浮かぶ漆黒の「ART Thinking」の文字に惹かれ、私は、秋元雄史さんの『アート思考〜ビジネスと芸術で人々の幸福を高める方法〜』を手に取りました。


読了後すぐに、現代アートの聖地「直島」への旅を計画。

そこでトップアーティストの作品に圧倒された原体験をきっかけに、私のアート思考への旅路は始まりました。

しかし「アート思考」への理解を深めるべく、いろいろな書籍を読み、さまざまな記事に目を通せば通すほどふと感じる違和感がありました。

アート思考という言葉だけが独り歩きしているような感じというのかもしれません。何かが「少し」違うのかもしれない。

実体を伴わないまま「アート思考」という言葉が消費される可能性、そんなことを考えました。

アート思考の「本質」とは何か。どうすれば、その「本質」が日本の社会に広がっていくのか。

そんな疑問が頭をよぎります。

そこで『アート思考〜ビジネスと芸術で人々の幸福を高める方法〜』の著者であり、今の直島を作った立役者のひとり、秋元雄史さんに、お話を伺いました。

秋元雄史(あきもと・ゆうじ)

1955年東京生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科卒業。1991年に福武書店(現・ベネッセコーポレーション)に入社し、直島のアートプロジェクトを担当。開館時の2004年より地中美術館館長/公益財団法人直島福武美術館 財団常務理事に就任、ベネッセアートサイト直島・アーティスティックディレクターも兼務。2007年 金沢21世紀美術館 館長に就任。現在は東京藝術大学大学美術館 館長・教授、練馬区立美術館 館長、金沢21世紀美術館特任館長、国立台南芸術大学栄誉教授。


アート思考は、自分の人生を組み立てるベーシックなものの考え方


「アート思考とは、ものの見方のひとつです。数字・言語など定型化した判断の動かないものによらず、個人の五感や直感、たとえば、芸術であれば視覚、音楽であれば聴覚、といった身体感覚を用いて、世界を捉えようとする行為です」と語る秋元さん。

アート思考により本質的に見出されるものは、自分が「世界や社会とどう関わり、どう生きていきたいのか」という個人の「生き方の軸」なのかもしれません。そう、アート思考というのは、そもそも簡単なものではないのです。

「アート思考は『ハウツーもの』のように、インストールすれば、まったく新しいやり方が見つかるというものではありません。アート思考は、自分自身と向き合い、自分の人生をどう組み立てるかに働きかけるベーシックなものの考え方です。宗教感に近いかもしれません」(秋元さん)。

「宗教」という言葉に、日本人はどこか新興宗教のネガティブなイメージを持つかもしれません。しかし、本来、宗教とは、人間の力を超えた存在の視点で、自分や自分の行いを見つめ直す行為なのでしょう。

哲学・世界観を作品に落とし込む力


私は、本書をきっかけに、アート思考を体現しているトップアーティストの作品を鑑賞したい想いに駆られ、読了から2ヵ月後の2020年1月、現代アートの聖地「直島」に降り立ちました。

筆者撮影

そして、地中美術館(注1)を訪れ「トップアーティストの力」を目の当たりにします。その空間に足を踏み入れた瞬間に身体の奥が震える感動があり、今までの私の美術鑑賞がまるで偽物のようにさえ感じました。

※注1:地中美術館:2004年、「自然と人間を考える場所」として設立。瀬戸内の景観を損なわないように建物の大半が地下に埋設され、館内には、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品が安藤忠雄設計の建物に恒久設置されている。

「トップアーティストが探求している世界は、科学者、数学者に当てはめれば、まだ誰もやっていない最先端の取り組みと同じです。ジェームズ・タレル(注2)の作品は「光」を捉えていますが、これはキリスト教感といった世界宗教にも通じるもので、ウォルター・デ・マリア(注3)は、世界を幾何学的に捉えるとどうなるかという世界観が表現されています。ある種高邁な哲学や世界観を「鑑賞者」が身体的に感じられる作品に落とし込んでいるのです。それがアートの素晴らしさですが、この原体験をしている人は、実際は少なく、アーティストの真の「凄さ」が伝わりきっていないのが現状です」(秋元さん)

※注2 ジェームズ・タレル: アメリカの現代美術家。光をテーマにしたインスタレーション作品で知られる。アリゾナの休火山を作品化しているローデンクレーターが代表作。地中美術館では「アフラム、ペール・ブルー」「オープン・フィールド」「オープン・スカイ」などが展示されている。

※注3 ウォルター・デ・マリア: アメリカの彫刻家・音楽家。場所や空間全体を作品として体験させるインスタレーション作品などを多数制作。ニューメキシコ州の砂漠に400本のステンレス製ポールを格子状に立てた「ライトニング・フィールド」が代表作。地中美術館では「タイム/タイムレス/ノー・タイム」が展示されている。

感動の原体験もなく、「アート思考」をビジネスの「ハウツーもの」と思い込むと、それは、アート思考の本質からは程遠いものになるのかもしれません。秋元さんは、アーティストの本来の能力が低く見積もられていることに強い懸念を感じています(pp.23)――、本書にも記されていた秋元さんの懸念がすとんと腹落ちした瞬間でした。

アートは自分を相対化するためのもの


アート思考がビジネスのハウツーものでないのであれば、ビジネスパーソンはアート思考とどのように向き合えば良いのでしょうか。

「『アート思考』の一部をピックアップしていけば、新規事業開発など、ビジネスへのちょっとしたヒントはあります。しかし、それだけでは(アート思考の理解としては)浅く、つまらないでしょう」「アートとは、クリスチャンが毎週末教会に通い、自分自身を神の視点で内省するように、作品との対話を通して、自分を相対化し、大局で見つめるための別の視点をくれるものなのです」と秋元さんは語ります。

現代社会は、複雑化し、何が正解かもわからず、昨日の正解が、翌日にはまったく意味のないものになることもあります。

今、ビジネスパーソンひとりひとりに求められているものは何か。それは、世界の問題を自分の問題として考えることの大切さであり、その際に、価値判断できる「自分の軸」なのではないでしょうか。「何が現代社会で大切なのか」「自分は何を大切にして生きているのか」――アート思考は、この「価値判断のベース」を見つけるためのアプローチのひとつと言えるかもしれません。

「幸福感」「世界観」の欠如


本書の副題は「芸術とビジネスで人々の幸福を高める方法」です。

つまり「幸福を高める」ことが本書の目的でもあるのです。

アート思考と幸福に、どのような関係があるのでしょうか。

「今、成功しているとされる日本の経営者には、ビジネスに対する哲学や倫理観、自分の幸福は何かという世界観を話す人が減ってきている印象を受けます。」と秋元さんは指摘します。

「たとえば、松下電器産業(現:パナソニック)の創設者、松下幸之助は、日本の伝統工芸を非常にサポートしていて、その背景には『日本社会にこうあってほしい』というビジョンがありました。かつての経営者は、事業と社会の接点から経営のエッセンスを抜き出し、経営哲学に昇華させていたのです。最近の経営者は、金儲けが上手という以外、一体何がその人の「幸福」なのか、なぜそのビジネスをしているのかが見えない場合が多く、アートの好みもないようです。個々の作品でなくても、こういう世界観の作品が良いというものもない傾向が見受けられます」(秋元さん)

個人の世界観の有無は、どのようなアート作品に興味があるか、アーティストの世界観に共感するか、という話を少しすると透けてしまうようです。

日々業績を上げることに手一杯で「そもそも何のためにそれを行うのか」を私たちはおろそかにして生きていないでしょうか。

「何が自分の幸福なのだろうか。どういった社会であってほしいのか」と、ふと立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれません。

ビジネススキルだけでなく、確固たる自分の世界観や幸福感が必要な時代において、アートは、私たちの精神性を高めてくれるものでもあると気付かされました。

目の前にいる具体的な人を幸せにする


秋元さんご自身の幸福感についても伺いました。

「誰かの役に立つこと。そう表現すると少しつまらなくなってしまうけれども、人から求められること。そもそもアート自体が、社会をより良くし、人がよく生きる上で大切なものでしょう。そして、身近な人、目の前にいる具体的な人を幸せにする。その土地の人の生活が少しでも良くなる、訪れた人がハッピーになる、それでいいのです」

秋元さんのもつ幸福感は、日本の一地方都市にあり過疎化が進む直島が現代アートの聖地へと生まれ変わる挑戦の過程にも現れています。

「『トップアーティストの作品』が『直島の土着のお祭り』よりも重要である、なんてことはありません。『その作品に何の価値があるのか?』という問題提起が島民からあっても良いと思います。『感じること』や『直感的な違和感』を持つことは、誰もが対等であるべきで、直島の人にも、現代アートが島にあることで充足感を得られる『リアルな場』を大切にしました。それが、アート思考の本質が広がることにもつながります」(秋元さん)

秋元さんのこのお話を伺いながら、私は、直島に滞在中の不思議な感覚を思い出していました。島民の日常の暮らしひとつひとつが、道路標識でさえも、あの時、私にはアートに見えていたのです。それは、島民の生活にアートが受け入れられ、アートと島民が共生していたからなのかもしれません。私も、家族も、直島の自然と歴史と現代アートに包まれて、とてもハッピーな時間を過ごしました。

わかりやすくすると「本質」はこぼれてしまう


では、どうすれば、この「アート思考」がブームとして消費されることなく、その本質が日本人の日常に定着するのでしょうか。

「アート思考をわかりやすく表現しようとすればするほど、アート思考の「本質」が抜け落ち、結果的に実のないものになってしまいます」と秋元さんは話します。

日本人は、わからないことや混沌を嫌い、安定した状態を好む文化特性があるのでしょうか、すぐに「わかること」を求めがちです。

「異論を唱えさせれば良いのです。『それは違うのではないか』という異論を許容します。3割くらいは揺らしておく」「何らか形式化することは大切です。ただし、形式化できた時にわかりきったと思わず、普遍的な答えが出た瞬間にその答えを疑うことが大事なのです。現代アートの歴史はまさにこの繰り返しで、結果だけ見ると闇雲に変化しているように見えますが、社会の変化に合わせて形式が変化しているのです」(秋元さん)

常に変化し続ける社会において、すべてをわかる状態にすることはできませんし、揺るぎのない正解もありません。揺らいでいる部分を許容しながら、さまざまな視点で「自分の生き方」を見つめ続けること。これこそが、アート思考の本質が日本人の日常に定着する上で大切なマインドセットではないかと感じました。

秋元さんと編集担当者渡辺さん、ふたりの想いの結晶


「秋元さんには、まとめるのが非常に難しいテーマを執筆いただいた」「大変な作業でしたよね」と話す渡辺さん。「渡辺さんの方が大変だったんじゃない」「良い意味で本の中に一貫性がないよね」と笑顔を見せる秋元さん。おふたりの本書への想いや信頼関係が伺えるインタビュー後の会話でした。

「数字に関する本が売りづらくなったあとは、アートだろう。そして、次は「〇〇思考」……」

そんな風に、ただ消費されていく風潮に警鐘を鳴らす想いも本書には込められているようです。

そもそも社会が論理一辺倒で、すべてを一言で言い表せない社会になったことを日本のビジネスパーソンは認識しないといけないのに、「わかりやすい」ことが求められ、それに呼応して「わかりやすい」ことが提供される。これに慣れてしまうと、私たちの思考回路は育ちません。いろいろな要素が内在し、一言で説明できないのが「アート思考」。ただひとつ言えることは、アート思考により本質的に見出されるものは、自分が「世界や社会とどう関わり、どう生きていきたいのか」という個人の「生き方の軸」なのでしょう。

アート思考は、知って終わるのではなく、知った瞬間から生き方を見つめる「思考の旅」が始まるのかもしれません。

『アート思考』を読んだ後には、ぜひ、こちらの『直島誕生』も読んでみてください。

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