危険な「美学」

スタジオジブリのアニメ映画『風立ちぬ』を観たことはありますか? 

私にとっては、スタジオジブリ作品のなかでも大好きな映画のひとつですが、周りを見回してみるとその評価はじつにさまざまです。

ラブストーリーとして見る人もいれば、ある種のプロ論だと語る人もいる。かたや、主人公は家庭人としてとんでもないという意見もあります。どちらにせよ、観る人によって違った感想を抱きやすいのでしょう。

では、なぜこのように意見が分かれるのでしょうか?

今回ご紹介する『危険な「美学」』は美学についての本ですが、アート思考を考えるうえで、とても重要な示唆があるのではないかと思い取り上げました。

本書は、美の裏に潜む危険性に焦点を当て、美と向き合う際に気をつけなければいけない点について論じています。冒頭に挙げた『風立ちぬ』についての考察も書かれており、映画を観た方ならなおさら興味深く読めると思います。

美とは何か? アートの力とは? アートを扱うときに人は何を考えるべきか? 

そんな、さまざまなことを考えさせてくれる一冊です。

「美」、あるいはそれを感じること自体に潜む危険を解き明かした一冊。高村光太郎の詩「必死の時」やジブリ映画「風立ちぬ」を例に、人を幻惑し、判断をくるわせてしまう「美」の危険性を指摘。さらにトーマス・マンの『魔の山』で描写された結核患者や戦時中の「散華」をとりあげ、「美」を感じようとする人間の感性が負を正に反転させてしまう驚くべき作用についても論じる。(「BOOK」データベースより)

目次
序章 美と感性についての基礎理論
第一部 美は眩惑する
 第一章 「美に生きる」(高村光太郎)ことの危険
 第二章 アニメ『風立ちぬ』の「美しい飛行機」
第二部 感性は悪を美にする
 第三章 結核の美的表象
 第四章 「散華」の比喩と軍歌〈同期の桜〉

美の危うさとは何だろう?

「美」という言葉は、私たちが思う以上に日々の生活のなかで使われています。

そしてほとんどの場合、「美」は肯定的に捉えられているのではないでしょうか。

人によってこの言葉の使い方はさまざまですが、辞書を引くと、次のように書いてあります。

1、美しい-こと(もの) 
2、よいこと

(「三省堂ウェブディクショナリー」より)

一般的には肯定的な意味で使われているといえるでしょう。

著者は「美とは、私(主体)に快と感じられる、もの(対象)のよである」(電子書籍版p. 228)と定義しています。

つまり、自分の価値観でよいと思うものこそが「美」だということです。

しかし「美」だけに価値基準を置くことには大きな危険性がある――それが本書の主張です。

「美」は、それ自体が非常に力を持つため、そこに目をくらまされてしまうと、その後ろや脇にあるものに目が行き届かなくなります。著者は、これを美の眩惑(げんわく)作用と呼んでいます。

たとえば、日常のあらゆるものに「美学」と名前をつければ、まるでよいことのよう捉えられます。

「男の美学」「持たない美学」などはまだよいとしても、「病」「悪」「殺し」といった言葉すらも、「~の美学」とつけるだけでまるで違う意味を持つのです。

詩人の高村光太郎は第二次世界大戦中、戦争賛美詩を書いていました。高村が美しく綴った詩に背中を押され、死地に向かった若者もいたのでしょう。高村はその反省から戦後7年間独居生活を送ります。

しかし著者は、高村の反省は「結果に対しての反省」であって、彼が「美に生きた」ことへの反省ではないと喝破します。高村の罪は己の美意識のみと向き合ったことにあるとしているのです。

もうひとつ、アニメ映画『風立ちぬ』を例に挙げます。

主人公の堀越二郎は飛行機の技術者ですが、映画では飛行機の設計を美しいものとして描いています。

しかし、彼の設計した飛行機は人を殺す道具になっていますし、美しい飛行機を作る過程で燃料タンクの防弾処理を省略し、操縦士をより危険に晒しています。

堀越にとって飛行機の設計は、人類の幸福のためではなく、それ自体を目的とした美の追求行為だったのです。

冒頭で『風立ちぬ』への評価の違いについて書きましたが、これは自分のなかの美しか見ていない人に対して、どう捉えるかの違いともいえるのかもしれません。

ときに美意識は、軽々と善悪に優先することがあるのです。

「美」は、価値を統合し反転させる

本書ではまた、トーマス・マンの小説『魔の山』を題材に、美が持つ力についても論じています。

たとえば、欠点だらけに見えていたものが、ある条件下で美点に見えてくるということがあります。日本語では、昔から「あばたもえくぼ」という言い回しがありますが、美の持つ力を端的に言い表しているかもしれません。

『魔の山』では、主人公の青年がある結核患者の夫人に恋をします。夫人は、傍目には美しくないという描写がなされますが、青年には美しい人物と映ります。そして青年の思いが募るにつれ、より夫人の美しさが強調されていくのです。

小説では、夫人の腕の白さのみが美点であると描写されますが、ここで大切なのは、数々の欠点があるからこそひとつの美点が浮き彫りになり、その人の価値も変えてしまったことです。

マイナスの価値だったものが、美点と統合されることでプラスの価値を持つようになる。価値が反転したわけです。

本書では、この「感性の統合反転作用」を、さまざまな側面から理論的に解説し、驚きと新しい知見を与えてくれます。

「美学」と思考をつなぐもの

さて、ここまで本書で紹介されている美の眩惑作用や感性の統合反転作用について、簡単に紹介してきました。

本書ではほかにも興味深い例が多数挙げられており、美の力についてさまざまな角度から考察しています。どれもアート思考を考える意味でも大きなヒントとなりますが、私がつながりを感じたふたつのポイントを挙げてみます。

ひとつは、自分の価値観と向き合ってものを考えるときやアイデアを生み出そうとする際に、同時にその後ろや脇にあるものにも注意を払わなければいけないということ。

著者は、「美を追求する人、感性の判断に頼る人は、時々それをやめて、それが正しいことなのか、よいことなのかを、知性と理性の検証に委ねなければならない」(電子書籍版p. 1957)と言います。

自分の気持ちと向き合うことは大切ですが、「良いと思ったから何でもアリ」ではなく、同時にその影響について検証することを忘れてはいけないのです。

そしてもうひとつ。「感性の統合反転作用」は、うまく使うことで大きな武器になるということです。

物事はマイナスがあるからこそプラスが引き立ち、マイナスとプラスが統合することで大きなプラスとなり得ます。

これは、自らの価値観を思考の道具として使う際にも役立つ考え方かもしれません。

いずれにせよ、自らの価値観と向き合い、何かしら行動しようとするのであれば、社会にも目を向けその影響も同時に考える必要があるのです。

それでも人はときに間違った判断をし、道を誤るかもしれません。それに対しても、著者は力強い言葉を投げかけています。最後にその一節をご紹介します。

「もちろん知性と理性は過(あやま)つかもしれない。しかし、だからと言って努力を惜しんでよいことにはならない。自分としてはこの状況でこう判断しましたと言い得るだけの情報を集め、自分の頭で考える努力をすること、それこそが真の誠実さなのではないだろうか」

『危険な美学』(電子書籍版p. 561)

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