第6回 お手本の話

1976年創刊の雑誌「POPEYE」に出会ったのは、創刊の一年後の私が小学校4年生、10歳の時だった。
大人たちのカルチャーに関心がある早熟の小学生だった訳ではない。
田舎の生まれ育ちの普通の小学生だったが、たまたま本屋で見かけたこの雑誌に一瞬で心を奪われた思い出がある。
その雑誌が紹介していたのは、伝統ある熟練工が作ったアウトドアグッズや、サーフボード、スケボー、自転車、ステーショナリー、キッチン雑貨、インテリアたちであり、洗練されたグラフィックがプリントされたTシャツ、ジーンズ、そしてNIKEのスニーカーを着こなした若者たちが、ビーチクルーザーで闊歩する、賑やかなビーチで遊んでいるアメリカ西海岸の光景だった。
自分が生まれ育った静岡県沼津市の海の風景と、この雑誌で紹介されていた西海岸の光景は、あまりにもかけ離れすぎていて、単純に、一気に、そのカルチャーに心を奪われたと言う感じだった。
ただ、この1冊によって、アメリカンカルチャーに心を奪われたという訳ではなく、それまで観ていた数々のアメリカ映画に登場する家電のひとつ一つや雑貨、そしてクルマなどの造形に惹きつけられていたところに、この雑誌はトドメをさすように、アメリカの魅力をそのまま語っていた。(ように思えた。)
当時、まだ若干26歳の初代編集長の木滑良久氏の狙い通り、田舎に住んでいた小学生の価値観も変えていった。

田舎の小学生が魅力的と感じたアメリカ西海岸は、完全に政治・宗教・思想を排除したあとの、純粋に「モノ」とそのモノを持つことから生まれる「ライフスタイル」であった。
平凡社が出版した若者向けのこの雑誌が日本にあたえた影響は、戦後アメリカとの関係性を模索していた若者に、政治的な判断がつかない状態で、アメリカの受容を可能にしたことだった。
戦争が終わってから20年ほど経ってからはじまった安保闘争は、アメリカというかつての敵国をどう受け入れればいいのか、葛藤を含んだジレンマの中の闘争だった。
その闘争も終わろうとする頃に、戦後生まれの若い編集者たちは、ある意味、その「モノ」がもつ独自の美しさやストーリーは、政治的な判断や宗教的な排斥、思想的な差別をも乗り越えて、人の心を惹きつけると言うことに気づき、それを素直に日本の若者たちに伝えようとした。
そして、読者もその魅力を無邪気に受け入れていった。

アメリカ文化を研究されている、小森真樹氏の論文「若者雑誌と1970年代日本における「アメリカナイゼーション」の変容」には、雑誌「POPEYE」について、当時の副編集長の言葉を次のように紹介している。

本誌巻頭で石川らは,この本は「モノそれ自体を求めるための資料」ではなく、「〈アメリカ〉の若者たちが( …) 作りだした道具を知ることによって、一種の文化的共感を得るためのコミュニケーション・メディア」と説明し,また他所でも「アメリカ合衆国ほど『街』と『物』にたよって生きている( …)国はないだろう. このことは合衆国の一般的なイメージとは反するようだけどそうなのだ」と述べたように,彼らはこれまでの日本で馴染みのない「物質文化」という観点から「アメリカ」イメージを刷新しようとしたのである.

ちょうど経済的成長を謳歌していた日本人は、この物質文化を受け入れることで、政治的なイデオロギーを超えて、あるべき憧れの姿としてのアメリカ文化を自分たちのものにしていく。
そして、アメリカ文化は強引ではなく、自然に日本人の暮らしの中に入り込み、いつの間にか日本人の価値観を変えていくことになる。
お手本を見つけた後の日本の勤勉なまでの吸収力はものすごい。
その勤勉さが、アメリカを内在化させた日本を作っていくことになる。

また、女性向けに平凡社は、先行して1970年に「an an」を発刊している。
こちらはフランスのファション雑誌「ELLE」の日本版としての登場している。
ここに男性はアメリカ的な力強いカルチャーに憧れ、女性は繊細な欧州の、特にフランスのカルチャーに憧れる図式が出来上がる。

そして、その勤勉さが新たなお手本を探すことになる。
アメリカの北部のシアトル、ポートランドをお手本とするもの。
ヨーロッパでは、音楽シーンからはじまるロック、モッズ、パンクスを生み出したロンドンをお手本とするもの。
独特の美意識でモノづくりがされていたイタリアを手本にするもの。
最近では、北欧がお手本としてのトップランナーとなっている。

さらに日本はお手本となるものを探し求めつづけている。
お手本をみつけた当初は、そのスタイルをそのまま日本に置き換えただけの表現なのだが、それを上手く取り入れて日本独自のスタイルにすることが本当に上手い。
日本のスタイルになった時は、そのオリジナルがどこにあるのかわからなくなってしまう。

この、日本において他国の文化の取り入れ方は、戦後のアメリカ文化受容だけではない。
仏教、漢字、儒教、文明開化、軍隊など、中国や西洋で誕生し、培われ来た文化をことごとく受容し、それを日本の中で使いやすく編集し、作り変えていくことで日本文化が創られて来た。

中国のオリジナルに倣い、それらを学びながらも。自在なリミックスを行うという日本に特有なグローバルスタンダードの受け入れ方は、七世紀から九世紀にかけて行われた遣唐使においてとくに顕著にあらわれます。

松岡正剛氏の「日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く」からの一節である。

1000年以上に渡り、日本はリミックスを基礎とした文化を作ってきた。
この先50年経ったら、次の日本のお手本は、1000年ぶりに中国に戻るかもしれない。
現代中国文化の表層を日本的に取り入れ、それを独自文化として表出させる時、そこにどの様なスタイルが現れるのだろう。

この既成のスタイルを取り入れて、そこからオリジナルのスタイルを創り上げる方法が、現在のデザインプロセスでも内在化している。
そこにアート思考を取り入れることでさらなる進化の可能性があると思う。

※この記事は代表幹事の浅井由剛が執筆したNOTEの記事を転載したものです。
NOTEの記事はこちら

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