第3回 アートとデザインのちがい

曖昧な表現は嫌われる傾向があり、論理的でないと軽侮されることが多く、ものごとをしっかり区別して語らないと理解していないと思われる。
しかし、ものごとを明確に区別することは難しく、区別するには理性と知性が必要だ。
5月10日の記事で前述した「芸術」という言葉もそうだが、ソシュール(注1)の言う「記号」のシニフィアン【言葉】とシニフィエ【意味】の構造が、日本の場合、対象となるものの意味が形成され、それに言葉(名前)がつけられていった西欧とは異なるようだ。
言葉が輸入され、その言葉に合う対象を探しながら意味づけして行った日本の経緯から察すると、輸入された言葉に対して、対象を分類・区分けして当てはめる行為がおこなわれているのだろう。
本来、ものごとには、明確な線引きがなくグラデーションになっているものだが、輸入された言葉に対しては、ラベリングが優先される。
ものごとの決定を曖昧にするのが日本人の特性だが、輸入された言葉の意味の区切りに関しては、明確に区別したがるように思える。

「アート」と「デザイン」もそうだ。
アートとデザインの間は限りないグラデーションになっていて、どこからどこまでがアートであり、デザインであるか、と言う区切り難しい。
欧州においては、デザインはアートのコンテクストの中にあり、応用芸術(applied art)として誕生した。そこから大量生産、大量消費時代に呼応するように、デザインのニーズが高まり、次第にデザインと言う分野が美術史のひとつとして形成されていくのである。
その過程はゆっくりと何年もかけてシフトして来たものであり、グラデーションである。
「アート」と「デザイン」は相互に刺激しあい、世界に影響を与えていっていると思う。

かく言う私も、アートとデザインは区分けされるものと思っていた。
そもそも美術系の大学に行く時点で、ファインアート(油絵科・日本画科・彫刻科)なのかデザインなのかを選ぶ必要がある。(建築はまた別のカテゴリーになる)
ここで区分けされることで、同じ美大の中でも言葉にならない確執が出来上がる。ファインアートは何かを創る純粋な人で、デザイン科は資本主義に隷従している計算高い人だなど、さまざまなアートとデザインの対立を生む環境がある。
なんとなくファインアートは純粋ゆえに崇高であり、デザインは欲望を歓喜させるものゆえ俗的であると言う雰囲気が作られている。
(誤解ないよう説明するが、同じ大学内で個人的な付き合いは、ファインアートやデザイン、建築は関係なく仲良くしている。これは例えて言うなら、日本と隣国とは、個人的には仲良い人が多いのに、国レベルになると、確執が生まれる構造に似ている。)

アート思考(芸術思考)に触れるきっかけになったのは、東北芸術工科大学の平成25年度文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「生きる力を育む芸術・デザイン思考による創造性開発拠点の形成」に参加させてもらったことからだ。
この事業の最後の会議でも、アート思考(芸術思考)とデザイン思考は区別されて語られていた。
アート思考の定義が曖昧で、何を意味するのかいまひとつ理解できず、研究員たちでさえ、アート思考不要や、デザイン思考と何が違うのかと言う始末だった。
アート思考をデザイン思考の対立軸として考えたり、創作するための利己的な欲望や感情を否定するなど、定義づけを阻害する要因も多かった。
誤解を生むかも知れないが、私は、アートもデザイン思考的なプロセスで創作されている部分もあり、デザインもアート思考的な発想で創られているものがあると考えている。
アートとデザインは、必ず相互に作用しているものである。
強いて言えば、アートとデザインの違いは、創作の起因となる個人的な動機の源泉と、創作した結果の、何に対し影響を与え得るかの効力が異なるのではないだろうか。

アートの創作の起因は、あくまでも自分自身を深堀することから始まる。
自分の感情を深堀していけば、大なり小なり心がときめく対象を見つけることが出来る。
そこをさらに深堀すると、常識と思っているこの世の中の事象とは別の、自分独自の絶対的な価値観に気づく。
そして、この絶対的な価値観を、美意識を駆使し、造形能力を使い、創作し、その作品を発表する。
そして、その作品を通して、常識的な世の中が知り得なかった、新しいものの見方や、人間の大罪や、自然の賛美などに気づいてもらうことでアートとして受け入れられる。
評価されるのは、作品そのものではなく、その作品を創作したアーティストの生き様も含めた新しい価値観である。
そして、常識や慣習に囚われて、今まで気づかなかった事象を問題として浮き彫りにして、新しい価値観を作り出していこうと言う機運の醸成が、アートの効力となる。

デザインの創作の起因は、自分の外側にあることが多い。
世の中を観察し、人間を観察する訓練を繰り返しているデザイナーが、世の中の常識や慣習では発見できないある問題点に気づく。(または、問題を解決して欲しいと依頼される)
この問題の解決方法を考えるのがデザインになる。
問題を解決するために最新のテクノロジーを使う場合もあるし、伝統工芸を使う場合もある。
技術だけがあれば問題を解決できるかも知れないが、デザインがここで大切にしなくてはいけないのが美意識だ。
デザイナーは問題を解決するために、美意識を駆使し、造形能力を使い、創作する。
そして、世の中は、その作品を通して、問題が解決された新しい価値の中で生活を始める。
その作品(と言っても、そのほとんどがメーカーから発売される商品である場合が多いが)が発表される前よりも便利な生活を送ることができる。
これがデザインの効力になる。

大量生産大量消費の時代にはデザインと言う行為がアートから分離し、それだけで成立しているように思えたが、すでに大量生産大量消費の時代は終わりつつある。
その時には、アートとデザインは接近し、もしかしたら同じ行為をさす言葉になるかも知れない。
コロナ禍の世の中は、それを感じることが多くなった。

(注1)ソシュール
「近代言語学の父」といわれるフェルディナン・ド・ソシュール

※この記事は代表幹事の浅井由剛が執筆したNOTEの記事を転載したものです。
NOTEの記事はこちら

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